パラダイス的新鎖国時代到来(その3)- なお超えがたき言語の壁

私は、母校一橋大学の卒業生のうち、IT産業のプロが集まる勉強会、「IT経営研究会」の末席を汚させて頂いている。ほぼ年に一度、7月の定例会だけに出現する「七夕会員」のくせに、言いたいことばかり言っている失礼な会員で、いつも本当に申し訳なく思っている。

さて、今年の七夕の頃にも、定例会に出席させていただき、今回は「インドのアウトソース産業」の話を大変興味深く拝聴した。そのプレゼンテーションのあとの議論で、「言語の壁というものを軽く見ないほうがよい」といったご意見があり、またまた「うーむ・・」と考え込んだ。

ろくに周知もしていないこのブログだが、先日のエントリーを梅田望夫さんにご紹介いただいたおかげで、急にトラフィックが上がっている。(梅田さん、ありがとうございます!)で、その梅田さんが翌日の記事で「自動翻訳」の話に言及されている。

さて、日本人のほとんどはネット上で日本語だけを読んでいる。仮にこれから、自動翻訳技術がどんどん進んできたら、昨日のエントリーで議論した海部美知さんが指摘する日本の「パラダイス的新鎖国」状況は、ますます進んでいくのかもしれない。それとも日本語で情報発信できるようになったら、「鎖国から開国へ」と転換していくのだろうか?

「モーレツ・ジャパニーズ・ビジネスマン」が流行った時代には、日本人の英語苦手現象も、徐々に克服されていくと私は思っていた。これだけ外国に行く人が増え、外国から日本に来る人が増え、インターネットへのexposureが増えれば、次の世代に日本人は、もう英語など苦にしないようになるだろうと思っていた。少なくとも、そういう人がかなりの勢力を占めるぐらいまで増えるだろうと思っていた。

しかし、ここ20年ほどの趨勢を改めて振り返ると、どうもそうではないらしい。exposureが増えても、「パラダイス鎖国」状態である限り、苦労して英語を学ぶインセンティブはない。やっぱり、苦労しなければ、外国語はできないのだ。自動翻訳でカバーできる部分もあるだろうが、それは「対人」英語の足しにはならない。

対人英語とは、単に意味を理解するだけでなく、直接の会話や文章で、相手の気持ちを(多かれ少なかれ)動かすことができる英語という意味で使っている。別に、おおげさに感動させなくてもいいが、相手が興味を持つことをちゃんと伝えられる、ということだ。

アメリカは、パラダイス鎖国でも別に困らない。世界中の人が英語を勉強してくれるし、外国出身者やバイリンガルの人を内部化しているし、なんといっても世界の最強国だからみんな興味を持たざるをえない。しかし、日本はそうはいかない。きちんと英語で発信できないと、ますますrelevancyは低下してしまう。

あ、でも多くの日本人にとって、そんなことどうでもいいのである。パラダイス鎖国でも困らないのである。こうして、いつまでたっても言語の壁はやはり越えられないようだ。私のような、英語でメシを喰っている人間は、まだ当分地位安泰ということにもなるが、別にありがたくもない。長期的に、日本のrelevancyが低下したら、私の仕事そのものが干上がってしまうからだ。

しつこく、この話まだ続きます。