パラダイス的新鎖国時代到来(その2) - 「ホテル・ルワンダ」vs.「亡国のイージス」

ホテル・ルワンダ


さて、今回の旅行中に「国」について考えさせられる映画を2本見ることができた。

一つは、行きの飛行機の中でみた「ホテル・ルワンダ」。前から見たかった映画である。途上国の果てまで日本製品を売りに行っていた頃に経験した、ドロドロの途上国の現実を久しぶりに思い出した。ルワンダ国内のマジョリティであるフツ族が、少数民族ツチ族を壊滅しようとして起こす内戦を舞台にし、「ルワンダシンドラー」といった役割を演ずるホテルの支配人の物語である。ある日突然、自分の隣人や妻が、ツチ族であるというだけで連れ去られ、虐殺される、といったことが、本当にこうした国では今でもあるのだ。そして、一番心が痛むのは、国際社会に対する主人公の呼びかけに対し、国連軍はルワンダ国内の「外国人(=白人)」の保護まではするが、ツチ族の保護はしないと決定してしまう場面である。「ルワンダなど、国際社会の中ではどうでもいい存在なんだ。国連軍が介入する価値などないんだ。」と絶望した主人公(だったか、国連軍将校だったか・・)がつぶやく。うーむ・・・小国の運命の哀しさが心に痛い。

もうひとつは、日本映画の「亡国のイージス」。正式公開はこの週末からだが、試写を見ることができた。某国の工作員自衛隊反乱者がイージス艦を乗っ取り、政府を脅すお話。政治的な思想の部分はいわば「縦糸」で、見所はどちらかというと「横糸」のヒューマン・ドラマの部分で、作った人たちの熱意が感じられ、多面的な楽しみ方のできるよい映画だと思った。しかし、ストーリーの中で今でも一つだけ納得のいかない部分がある。私は原作の小説も読んでいるが、その原作からも引きずっている弱み、それは、テロリストと組んで反乱を起こす副艦長(小説では艦長)とその腹心の部下の「動機」である。副艦長には、「息子を日本政府に殺された」という恨みもあり、「この国は、オレたちともども、一度滅びるほうがいいんだ」といったセリフを吐き、特に小説では細かく心情の説明もあるのだが、どう説明されても、祖国を裏切り、これほどの大犯罪を起こし、自分の半生を捧げてきた信条と組織を踏みにじり、信頼してきた同僚さえもそのために殺戮するという行為の動機として、十分大きいとは私にはどうしても思えないのだ。

ルワンダのような国と比べ、なんと言おうが、日本はいい国である。平和で、治安がよく、言論の自由がある。豊かで、機会は開かれている。ある日突然、殺戮される心配などない。犯罪者はきちんと罰される。そのために、どれだけの努力がされているかということに認識が足りないとか、そういう話はあるだろうが、大筋において、なんといっても先進国だ。

一方、前回書いたような「パラダイス的鎖国」と、日本の相対的な経済的価値の低下のため、世界の中で日本の「relevancy」が低下していく現象は、やはり不安になるのである。ルワンダのケースは、その一番極端なケースで、さすがに日本がそういうことにはならないだろうが、国際社会の中でのrelevancyがなくなる、ということはどういうことかを端的に示しているのである。

そしてこの話、まだ続きます。

http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/index.html

亡国のイージス

亡国のイージス