ブログの奇跡と「有力感」またはrelevancy

いわゆる「ブログをやりだし」てから、半年ほど経つ。当世はやりのブログの技術的な意味合いがわかってきたところだが、最近ブログである「奇跡」を体験し、その「文化的」な意味合いについても、改めて考えた。

ブログの技術的な意味とは、簡単であること(敷居が低いこと)と、RSSによる「横につながる」パワーであると思う。一方、文化的な意味合いとは、まずは「本音の双方向性・即時性」と言えると思う。

「ウェブサイトと掲示板」という組み合わせと比べ、ブログだと書き手は毎回、ある程度まとまった考えを述べることを強いられる。ここで出てきた「本音」に対し、コメントする方もかなり本気でまとまった本音を述べる。2ちゃんねるのような「中立の場」ではなく、主催者があるので、書き込む方もある程度そのポリシーに従って書くことになる。

ここから先は、主催者の使い方次第ということになる。私の体験した奇跡というのはもうすぐ公開される予定のある日本映画のブログでのことである。このブログは、映画会社が主催しており、関係者が7人、週に一回ごとに交代で書き込みを担当し、映画の裏話や、関連する体験記などを書いている。コメントの書き込みは誰でも自由にできる。

映画の公式サイトはいくらでもあるし、最近はそこでブログを併設するのもよく行われているようだが、私は今までこういったものに「参加」したことがなかったので、一般的な事情は知らない。とにかく、この映画のサイトでは、映画会社の宣伝担当者などが、コメント欄によく登場し、質問に答えたり、ファンの提案を実行に移したりする。例えば、「聴覚障害者のために字幕上映をしてほしい」という書き込みがあったときには、「競争相手はやってるゾ」などというサポート情報がファンからどんどんはいり、すごい速度でプロデューサーが直々に指示して、実施が決まってしまった。

映画制作業界や、芸能界というのは、私のような一般人にとっては、遠い世界である。コメントを書いている人たちも、大半はそう思っている。そういう我々一般人にとって、そこにひょいと自分の意見が通ってしまうというのは、まるで奇跡のようなことである。

その奇跡が、自分の身にも起こった。私はこの映画に登場するある俳優の英語ファンサイトを主催している。仕事のスケジュールもあり、映画の公開日には日本にいられない。その前にはしばらく日本にいるので、もし日程の合う試写会があれば、応募したいと思い、ブログで日程の質問をした。すると、ファン仲間を中心とする他の参加者が、「この人に試写会見せてやってくれ」とサポートしてくれた。「電車男」現象が起こったのである。そして、プロデューサー氏が私を招待してくれることになってしまったのだ。

ただ、書いているものが機械を通して見られるだけではないのだ。サーバーの向こうには、人間がいる。数多くの、自分と何らかの興味でつながっている膨大な数の人間がいる。場合によっては、影響力の大きい人間もいる。ネットを通して、どこにいるのかもわからない、きわめて多数の個とのコミュニケーションが可能となった。こんなことは、従来のメディアでは不可能だった。

マス・メディアやマス経済の世の中では、自分の存在はきわめてちっぽけだ。自分の意見や好みがなんだろうが、自分が何を言おうが、世の中の主流とは関係ない。多くの場面では、そんな「無力感」、あるいは英語でいう「irrelevancy」(無関係)感みたいなものが当たり前と思って普段暮らしている。しかし、ネットという、不思議なツールを使うと、この反対の「有力感」あるいは「relevancy」感を得ることができるのである。これを一度体験した人は、なかなかやめられなくなってしまう。

こうした現象は、別にブログに限ったことではなく、また情報の受け手がなんらかの有効なアクションをすぐに起こす権限とガッツの両方を持っていなければならない。しかし、確かに、ブログの「本音の双方向性・即時性」を生かすと、従来以上の「有力感」を経験する、または経験させることができると思うのだ。