シリコンバレーにおける「ユートピア主義」の大切さ

瀧口範子さんの記事に生越さんが噛み付いている。

ジンガもフェイスブックも──腐敗する有望IPO企業 | 瀧口範子 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
昔からそうだし、そうあるべきだよ

この批判は半分しか当たっていないように思う。

確かにベンチャー経営者の最重要課題は資金の調達と管理だし、「事業のアイディア」という、単位が小さすぎ不定型すぎて売り物にならないモノを「会社」というある程度の大きさの箱に入れて固定化し、金融商品として流通させるのがベンチャーファイナンスであることも間違いない。

でも一方で、シリコンバレーには深く根付いた「ユートピア的理想主義」の文化があり、この「地域的気分」に合わない企業は周囲の支持を得づらいという面もある。支持を得て人気の出た会社には、よい人が集まってくるし、資金も調達しやすくなり、地元プレスからもよい評価を得て、ユーザーも集めやすくなる、という好循環にはいって、地位を確立することができる。この地の歴史から来る、「ゴールドラッシュ一攫千金気質」と「ヒッピーのメッカとしてのユートピア主義」とうい二つの相反する文化がアウフヘーベンしちゃっているのがシリコンバレーなのだ。金儲けだけなら、今なら例えば中国のほうが有望なのかもしれないが、今でもシリコンバレーが「ベンチャーの聖地」として世界に冠たる地位を保っていられるのは、このユートピア主義文化が根強くあるからなのだ。

ユートピア主義」の要素はいくつもあるが、主要なものを挙げると(1)「世界をよくする」という志、ユニバーサルな価値(プレゼンだけじゃない、世界進出の心得「何の問題を解決するのか」 - Tech Mom from Silicon Valleyを参照)、(2)技術がすごい、(3)独創的である、といったところか。

生越さんの記事にまさに言われているように、日本ではこういうことを「きれいごと」と呼び、「カネがすべてじゃぁ」という体育会系金儲け根性論のほうがウケがいいような傾向がある。でも、シリコンバレーでは「カネごと」だけでは足りず、「きれいごと」要素もすべて兼ね備えていないと成功できないという、さらに厳しい競争がある。そんなこと出来るわけない、と言われるかもしれないが、人間だれしも「仕事と家庭」とか「夢と現実」とかのせめぎあいをなんとかやりくりしているように、ベンチャーでも常にその両方の面をなんとかバランスしている。

そして、膨大な数のベンチャーの中から、たまに全部の要素を兼ね備えて大成功する企業が出る。大変なことだから、そんな成功例は何年かに一度しか出ないけれど、それでもちゃんといくつも成功例があるから、ユートピア主義は廃れない。「ユートピア主義は鼻につくが、カネが魅力だからこの地に来る」という人もいるけれど、何年かごとにやってくる不況でそういう人はだいたい自ら離れていくというセルフセレクションの仕組みもある。

瀧口さんがここで挙げているような、上場のために従業員との約束を反故にするというのは、一番大事な(1)に反するとして「ユートピア主義」でのイメージを損ない、地元の人気に悪影響を及ぼす。資金と並んで「人」の調達が極めて重要なこの地では、実質的にもそんなことしたらよい人が離反しちゃうのでは、という懸念もある。投資家と従業員の利害のせめぎあいで、考えた末にこうやったんだろうけどね。

瀧口さん自身も、長くシリコンバレーに住んで「ユートピア主義」が染み付いているだろうし、またベンチャーの成功要素としてこれが重要ということがわかっているから、「それは違うんじゃないか」と言いたかったのではないか。一般読者にわかりやすいように使った「金融商品に見える」という言い方が誤解を招いたかもしれないけれど、ココロはそういうことだと思う。

今年IPOしたIT・ウェブ系有名企業でいうと、もともとグルーポンとジンガは「ユートピア3要素」面がやや弱く、特にグルーポンは地元企業でないこともあり、シリコンバレー雀の間での人気はいまいち。一方、インターネットラジオのパンドラは全くその反対の極で、「カネ儲け」は下手だが「ユートピア3要素」面で地元の支持が強く、何度も潰れかけてはなんとか生き残ってきた。

そして、来年のIPOで期待の大きいフェースブックは「大成功例」として長く生き残ることができるかどうか。「カネごと」面と「ユートピア」面の両方で、まだ少々不安を抱えているようだが、そろそろ次の大成功例が出てくれないと困る、という気分が当地に蔓延していることもまた間違いない。