ブスの境地

ひろしまなおきさんの「顔写真公開のすすめ」のブログ・エントリーに、私のことが書いてある、と知り合いが知らせてくれたので、その前後のエントリーを読んで朝から大笑い。

顔写真公開のススメ
顔に自信をもつコツ

私が顔写真をブログでさらしているおかげで、ひろしまさんの男前写真が一枚、世に出たのであれば、これほどめでたいことはない。そもそも、私は顔に自信があるから、写真をさらしているわけではない。「どうでもよい」からさらしているのである。

写真はまだいい。このブログの写真だって、亭主が何十枚も撮った写真が、どれもこれもブスに写っているのだけれど、その中の一番マシなのを選ぶことができる。それでもたいした顔じゃないけど。ところが、ビデオはもっと残酷だ。先日八重洲ブックセンターでの対談がビデオになって、徳力さんのサイトとかYouTubeとかでさらされたのを自分で見て、つくづく「私ってブスだなぁー」と感心した。特に、隣が男前の中島さんだから、ブスが余計目立つ。でも、会場に来ている人は、もともと私が美しい女だなぞと期待してきているわけでもなく、だーれもそんなこと気にしない。だから、自分でも、ブスだなぁと客観的に思うだけで、イヤだとか恥ずかしいとか、全く思わない。だって、仕方ないんだもん。だから、ブス・ビデオとわかっていても、自分のブログに堂々とはりつけちゃったりする。

それほど割り切れるようになったのは、40代にはいったぐらいの頃かな。それまでは、理論上は「人間、顔じゃない」と言っていても、心の底では大幅な容姿コンプレックスがあった。そのおかげで、人生の選択肢がねじれたこともある。でも、40代になって、子供を産み終って、育児と仕事が忙しくなって、心の底から、そんなことマッタクどうでもよくなった。むしろ、容赦ない年齢の重みが襲ってくる時期を迎えても、もともと「若いころはキレイだった」という思い出がないから、失うものがなく、年をとるのが怖くもなければイヤでもない、というシアワセな境地にはいることができた。「40になったら自分の顔に責任を持て」という意味がわかるような気がする。

ブスやブサメンでも、恥ずかしいことはない。そりゃ、美しい女や男はそれはそれで価値がある。それで、人をおおいに楽しませることができるし、私も、日々いろいろと楽しませていただいている。でも、それは世の中に存在する多種多様な価値の一つでしかない。

それより、顔をブログに出していると、今のところ便利なことのほうが多い、という点に関しては、私も全く賛成である。特に、ひろしまさんよりも「さらに」引っ込み思案で人付き合いの下手な私には、たいへん役に立っているのである。