家事と「グーグルの検索」が似てる件

こういう話が流行ると、黙っていられないTech Momが来ましたよ。

とある夫婦の離婚序章

一時「発言小町」にはまったとき、同じような「家事と仕事とどっちが大変か」という男女の水掛け論を散々読んだのだが、女性の多い「小町」と男性の多い「匿名ダイアリー」の空気の違いがあって、なかなか面白い。

で、私の直接の反応はPollyannaさんとほぼ同じなのでそちらを読んでいただくとして、スレを読みながら、「家事とグーグルって似てるなぁ」とつれづれに思った話を書く。

グーグルのトップページは、ほとんど検索窓しかない。そこに何かほうりこんで検索すると、検索結果は味も素っ気もないリンクの羅列で出てくる。ユーザーインターフェースは昔からほとんど変わらない。使っている方からすると、極めてシンプルな表面しか見えない。しかし、そのウラには、10年にわたって蓄積した膨大なリンクとユーザーのデータを、ものすごいアルゴリズムで処理する、巨大なシステムがあり、それが徐々に進化している。ぴったりした検索結果を短時間で返すために、何千人もの博士号をもったスーパーエンジニアたちが、日々格闘している。ユーザーが何気なくサーチした過去の履歴や、GmailやDocsで何気なくやりとりしている情報の断片を、気が遠くなるほどの丁寧さで拾って、それをアルゴリズム化している。

主婦が晩ご飯にカレーライスを作って、子供を含む家族がそろってテーブルについて食事するという、何気ない日常の風景の裏には、これと似たような、ものすごいデータの蓄積と、気が遠くなるような情報の断片の収集と、それを一気に短時間で処理するアルゴリズムが動いている。冷蔵庫にある材料の在庫は何か、じゃがいもがないから帰りに買っていかなきゃ、子供の好き嫌いや今日の給食で食べたものは何か、誰かはアレルギーがあるからこれはダメ、自分の仕事が締め切り前だから本当はマクドナルドのテイクアウトで済ませたいけどそれでは亭主が文句を言うだろう、上の子が塾から帰ってくる時間と下のチビがお腹すく時間とのかね合わせからいって夕食はこの時間しかない、その時間に完成しているためには自分は何時から準備を始めなきゃいけない、そのためには仕事をこうやって段取りしてその時間までに自分の手をあけておかないと、子供の送り迎えの時間と重なるのでそれはベビーシッターに頼んで、今日は何時から子供の好きなテレビがあるから宿題は食事前にやらせなきゃ、自分は調理している時間だから両方をいっぺんにやらなきゃ・・・・などなど、膨大な小さな情報の断片を拾って最適化するアルゴリズムが主婦の頭の中では動いている。この作業は大変なエネルギーが必要で、間違った判断をすると、子供や亭主というスーパークレーマーからすぐに文句が出る、というストレスの多い仕事だ。

一方、奥さんから「今日はカレーライスにするので、6時までに作ってちょうだい。材料は冷蔵庫にはいってるから。」と言われてダンナが作る場合。上記のデータ処理のほとんどの部分はすでに済んでいて、最後の「肉体労働」の部分しか担っていない。そして、コトは夕食の献立にとどまらない。いや、夕食は毎日決まった時間にちゃんとあるからまだいい。子供は突然熱を出したり鉄棒から落ちたりするし、勉強のここが遅れているからおかあさんしっかり指導してくださいとか言われるし、学校の行事があればそのためにあれを提出しろ、これをやれ、といろいろ不定期な追加仕事が年がら年中発生する。でも1日は24時間しかなく、子供は決まった時間までに寝かせなければいけないから、すでに忙しい日々の時間内にどうやって追加事項を押し込むかは難題。そうした非定型判断の裏にも、上記と同じようなアルゴリズムが動いている。

ダンナが頑張って買い物に行ってくれるのはありがたい。しかし、買い物メモに書いた「ユーザーインターフェース」部分しか彼には見えておらず、データベースとアルゴリズムが欠落しているから、微妙に「このブランドじゃないのに・・」「もっと小さいじゃがいものほうが使いやすいのに・・」といったズレが生じて、主婦はかえって面倒になってしまう、という経験をお持ちの皆さんは多いだろう。

前に、「オムツ替える作業は自動車工場でボルト一つ締める仕事、主婦の家庭経営は自動車会社の社長の経営判断の仕事」と書いたことがある。別の見方をすると、上記のように「シンプルなユーザーインターフェースの部分」と「その背後にある巨大なアルゴリズム」とも見ることができる。自分で判断して動ける大人だけの家庭ならまだいいが、子供の責任を担う必要のある家庭では、ますますこのアルゴリズムは複雑になる。

それともう一つ。上記エントリーのコメントに、こういう話が引用されていた。
男心と女心 織田隼人著: 頑張った重要度
この方も、悪気はないのだろうが、無意識のうちに「炊事、洗濯、掃除」というのを、男の目からみて極めて重要度の低いものと点数をつけた上で話をしている。「重要度」というのは何を目的・基準として考えるか、ということが常についてまわる。例えば自動車会社の中で、コピーをとったり郵便物を整理する「メールルーム」という機能があったとすると、それは自動車を作って売るという目的からすると、比較的重要度が低いだろう。工場でボルトを回す仕事のほうが大事に見えるかもしれない。でも、そのメールルームの業務をアウトソースで請け負う会社があったとすると、その会社にとってはメールルームの業務がきちんとできなければ契約を切られて明日から社員は路頭に迷う。だから生きるか死ぬかの仕事なのだ。ここで、自動車会社の業務とメールルーム会社の業務の、どちらが重要か、どちらが高級か、などという話は、せいぜい水掛け論にしかならない。

ここでもグーグルをあてはめてみると、私の「コンサルタント」という仕事において、グーグルの検索はたくさんある仕事ツールの一つにしか過ぎないが、グーグルからすれば、その微妙な検索結果の違いが生きるか死ぬかなのだ。同じように、主婦にとっては、炊事洗濯掃除が、その家庭にとってそれなりに満足な基準でできていなければ、誰かの機嫌が悪くなったり、子供が朝着ていく服が足りなくなったり、ホコリで子供が鼻をつまらせたり、といったことが起きてくるので、それをこなすことは重要なのだ。

私は、「だから主婦の仕事は大変なのだ」ということをことさら言いたいのではない。メディアや役人が「少子化対策=保育園増設、補助金増額」みたいな話をするときに、しばしば「主婦の家事や育児は、価値の低い肉体労働である」という前提で話をしているように思えて、そうすると的外れな対策をたてて税金の無駄遣いをしてしまうかもしれないから、繰り返しこのことを書いているのだ。

<おまけ>
それでも、子供が大きくなってくると、だんだんと子供も自立して、「部下」としても使えるようになってくる。そこまでいかない「新人」のうちは大変だけれど、この匿名氏とその奥様も、あと数年すればまた様子が違ってくるだろう。だから、今は大変だろうけれど、頑張って乗り越えてほしいものだと思う。