環境vs.開発 「日本人の知らない環境問題」

日本人の知らない環境問題 (SB新書)

日本人の知らない環境問題 (SB新書)

著者大賀敏子さんは、私の大学時代の友人。もう長いこと会っていないのだが、最近同級生女子会メンバーの間でメーリングリストがまわるようになったおかげでe-再会。この本が出たときに紹介された。

大賀さんは環境庁(今は省)出身で、現在、UNEP(国連環境計画)のケニア・ナイロビにある本部で働いている。世界における「環境問題」の現実・意義・課題・取り組みなどが、「中の人」の立場から生々しく紹介されている。

ちょうど今月20日から、ブラジルのリオデジャネイロで「リオ+20(国連持続可能な開発会議)」が開催されるが、この会議のことを理解するのにも役立つだろう。

環境保護」は、貧困から脱出するための「開発」とは対立すると思われそうだが、実はそうではなく、「環境問題」はすなわち「貧困問題」である、というのが世界の場では常識となっているそうだ。その意味が、アフリカでの実際の生活の様子を通して描写される。

短期的に、また狭い範囲に関しては対立するのだろうが、長期的・広範囲に見れば確かにそうだ。しかし、過去の歴史をひきずり、長期的にわたり、国境を超えた影響が複雑にからみあう問題を、一気に解決できる方法はない。

国連の会議といえば、よくも悪くも世界規模の「政治」であり、種々のかけひきの経緯もわかりづらく、「まどろっこしい」などと批判するのは容易だが、その中の人である大賀さんの「武力を伴わずに国際合意をとりつけるには、会議は今の国際社会が使えるたった一つの方法だ」という信念が心に残る。どんなにまどろっこしくても、何十年もかかっても、淡々と仕事を続ける当事者の方々の努力に頭が下がる。

それは、本の中で紹介されているケニアノーベル平和賞受賞者の「普通のおばさん」、ワンガリ・マータイさんの言う、「火事になった森に、小鳥がくちばしで水を湖から運ぶ」ようなものかもしれない。でも、それを続けていくしかない、というのが現実なんだろう、と思う。

それから、国連や世界の舞台ではなかなか目立たない日本だが、武力を伴わない枠組みである環境問題に関しては、日本が長年にわたって力を発揮しているということも、正直言って意外な発見だった。

地味で難しいトピックだが、日々の節電努力の意義が世界の中でどういう意味を持つのか、そんな壮大なことに思いをはせられる本である。