イギリスは「グレースフルなる衰退」をしているのか

池田信夫先生の記事を読み、この本を読んでみた。たいへん面白かった。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

私はたまたまこれまで縁がなく、英国を初めて訪れたのは今年の夏だった。世界を歩きまわるのが趣味だった若い頃から一転、子供ができてからは身の自由がなくなったので、全く初めての国に行くというワクワク体験は15年ぶりぐらい。それも仕事でもなく、家族の面倒を見るdutyからも解放され、一人きりで、朝起きて今日は何をするか好きなように決められ、さらに気のおけない古い友人たちと会うこともできたという、人生最高の休暇だった。

まぁ、そういった非日常高揚感の中で見たので、初めて見た英国の風景は、もしかしたら事実よりも美しく歪曲されて私の目に映っていたのかもしれない。お気楽ミーハー観光客をやっていたので、キレイなところしか見ていないのも事実。それでも、町中がディズニーランドかと思うほど、隅々まで古い時代のままのケンブリッジ、郊外通勤列車から見る美しい田園、その昔ビートルズの映画で見たままのロンドン市街など、郊外も街中も、お伽話の絵本のような風景が続く。例えばニューヨークやサンフランシスコなど、アメリカの大都市なら、薄汚い地域がどうやっても避けられないほど膨大に広がっているが、たまたま私の動線の中にはそれが見えなかった(もちろん、ロンドンにもあるのだが)。あるいは日本の古都、京都や鎌倉だったら、お寺や史跡周辺以外の部分は、普通の都市と同様、空調や防災の機能を備えた普通のビルが立ち並んでいるが、ロンドンの中心街はそれすらない。それでも金融・商業・ファッション・文化施設などが集中した大都市で、便利で生活水準は高い。

イギリスはどうして、こんなにキレイなのか。一説には、イタリアと同じで、老大国となって「観光立国」が今や至上命令で、ロンドン・オリンピックに向けて大整備やってるから、という話も聞かれた。それにしても、地価の高いこの大都市でこんなに効率の悪い建物や仕組みを残したままで、どうやってこれが成立しているのか、本当に不思議だった。何百年にもわたって蓄積した富がインフラとして固定化された結果だろうと漠然と思うけれど、現在では(少なくとも相対的には)「衰退」している国で、どうやってそれをうまくやっているのか。

通信で「graceful degradation」という用語がある。日本語でなんというのか知らないが、無線において、回線速度が遅い環境の場合に、機器側が自動的に対応して処理スピードを合わせて落としていくことを指す。その用語を使うと、日本が衰退するのは仕方ないが、どうせやるなら「グレースフル」にやりたいものだなぁ、と常々思っていたが、イギリスはうまいこと「グレースフルなる衰退」をできているんじゃないか、と思ったわけだ。

それをどうやって戦略的にできるのか、という回答がこの本で得られるかと思って読んだのだが、残念ながらその部分はあまり言及されていない。「衰退論」の部分は、「果たしてイギリスは衰退しているのか」という点だけに絞られていた。本自体は、近世から産業革命に至るイギリスで、「消費」や「生活」面から見てイギリスがなぜ発展したのか、という点については非常に面白く、例えば「産業革命の初期、大量生産された製品はおもに生活用品で、それを買ったのは主婦であって、彼女らはどこでをれを買うお金を得て来たか」といった、社会構造や家族といった観点からの分析や、「中核と周辺」「世界構造」といった分析モデルもわかりやすい。いろいろと参考にしたい部分が多いが、「グレースフルなる衰退」のモデルについては、継続検討ということになりそうだ。