パラダイス鎖国な人々に忍び寄る「ゆるやかな危機」

2年前に本を出して、だいたい言いたいことは言い尽くしたので、その後「パラダイス鎖国」関連のことはあまり積極的に話題にしてこなかったのだが、だからゆったじゃん、と言いたくなってしまったので、覚悟を決めて言ってしまう。

まだ正式案内が出ていないのだが、3月中旬シリコンバレーにて、Keizai Society主催のパネル・トークで、英語で「日本は変われるのか」という話をすることになっている。パネルは、私のほか、ロシェル・カップさんとキンバリー・ウィーフリングさんの3人。女ばかりなのは全くの偶然である。このトークに来る人の参考のため、という意味も兼ねて、私の英語ブログで「パラダイス鎖国」に関するシリーズを書き始めた。実は、ずっと以前から「パラダイス鎖国」を英語にしたい、ということを考えていたのだが、本をまるまる翻訳する気力も時間もないので、時間のあるときに少しずつ、英語ブログに思いついたことを書いていくことにした。今回スペインまで行く飛行機の中で、ようやく第一回を書き上げることができた。とりあえず、第一回はコンセプトの紹介なので、新しい話は特にないが、リンクは下記。

http://hogacentral.blogs.com/japan_tech_blog/2010/02/seclusion-in-paradise-1.html

さて、スペインのバルセロナで開催されたモバイル・ワールド・コングレス(MWC)は、世界最大の携帯業界展示会である。私はずっと行きたかったのだが、ようやく今年、念願かなって初めて行くことができた。今年はノキアが参加しないなど、一時に比べるとやや盛り上がりに欠けるということだったが、アメリカの盛り下がりっぱなしのCTIAに比べると、まだまだ格段に規模も大きく、人も多いし活気がある。

中味そのものに関しての話は別エントリーで書くとして、実に「百聞は一見にしかず」とつくづく思った。「いやー、やっぱりヨーロッパは違うな」という意味ではなく、その逆で、「ずいぶん違うかと思ったら、アメリカとあまり変わらないな」なのである。もちろん、欧州企業や新興国のプレゼンスがより大きいのだが、大きなブースを出している主要企業の顔ぶれ、キーノートでの企業トップの講演の傾向、ワークショップで話題になるテーマなどといった、「業界全体の大きな趨勢」みたいなものは、基本的に似たようなもので、同じ問題意識があり、同じようなテーマが注目されている。地域特性はこれに加わる「バラエティ」の範囲。世界中の業界の人々の間で情報が共有され、議論され、解決策が提案されているのだなぁ、と感じた。

ところが、鎖国中の日本では、情報が共有されていない。そりゃぁ一応、アメリカよりはほんの少しましで、NEC東芝などやや多い数の企業がやや大きめなブースを出していた。キーノートにはKDDIの小野寺社長が登壇して、原稿を見ずに英語で堂々とスピーチもパネルディスカッションもされていて感心した。しかし、上記のような「業界全体の大きな趨勢」になんらかの影響を及ぼすような話には日本勢はほとんど関与していないし、日本の人々は違うことに関心をもっている。「ワイヤレスジャパン」展示会の顔ぶれや趨勢や問題意識とは全く違う。私が「アメリカとおんなじじゃん、と思った」と話したら、日本から初めて海外の展示会に来た友人たちは、「いやー、日本とは全然違う、びっくりした」と話していた。鎖国ガラパゴスだ、と言われて頭でわかっていても、これほどとは思わなかった、という意味で彼らも「百聞は一見にしかず」だったという。

ここに掲げた写真は、そうした「趨勢」の最も象徴的な存在である、Huawei DevicesのGuo Ping会長。小野寺さんと一緒のパネル基調講演のときの写真。

携帯端末やインフラ機器に関しては、もう今更いくら頑張ってもどうしようもないほど差がついてしまっているし、新規参入が可能な「市場の不連続部分のタイミング」をまたしても逃してしまった*1ので、日本企業が世界に再び打って出るという話はもうないだろう。(ニッチプレイヤーとして頑張るという選択肢はまだあると思うが。)その部分をあきらめたとしても、ネットワークサービスや、上位レイヤーの部分において、世界中の優秀な産業人が知恵を絞り合って出しあい、競合しながらも、業界内と外(顧客側)両面で、世界共通の問題を解決していくダイナミックな流れの中で、日本の市場は一人ぼっちで取り残されている感じがする。日本の中にいれば、日本のネットワークは優秀でどこでも電波が通じるし、端末はものすごく高機能で、そこでいろんな娯楽が楽しめて、ユーザーはそういうものだと思って満足しているだろうし、提供側は現状維持であっても日本の市場は大きくてそれなりにお金も回っているので、あえて何かを変えて前の人や上の人の顔をつぶすことはしないほうがよくて、それで誰も困らない。でも、世界の趨勢からは取り残されている。パラダイス鎖国。平和な江戸時代。(詳しくは、後ほど別エントリーを書くのでそれを参照。)

情報が共有されないという意味は、「情報を受容して意味を読み取ることができない」ということだ、情報自体はいくらでもネットで流通している。現地法人や研究機関のレポートも上がっている。でも、流れていく情報を興味を持って受け取れて、その意味や重みを正しく把握することができなければ、存在しないことと同じだ。

携帯業界はまだ実害が出るところまで行っていないが、トヨタはその意味で、本当にまずいのではないかと心配になってくる。今日読んだ、瀧口範子さんによるマリアン・ケラー氏インタビュー記事などを読むと、私の懸念が当たっているような気がしてならない。

http://diamond.jp/series/dol_report/10033/

トヨタアメリカで大きな商売をしているし、米国現地法人も大きいが、そこからふんだんにはいってくる情報に対し、「興味をもって受け取る」または「正しく意味や重みを理解する」ことができなくなっているのでは、自動車業界用語で言えば「現場の声が届かない」状態になっているのでは、ということだ。

私の前回のトヨタに関するエントリーに対し、「毛唐のヒステリー」というコメントがあったが、そういうふうに思っている人が日本には実は多いという別のソースからの話も聞く。一般人がどう思っても仕方ないが、中の人までが、一般人に媚びるメディア論調に安心して、アメリカのユーザーを小バカにして、情報に対して鈍感になっているのだとしたらこれは大変なことだ。

トヨタと電気自動車の「違和感」 - Tech Mom from Silicon Valley

このまま放置すれば、トヨタのブランド力は低下していく。プリウスは環境に優しいから、お金持ちが敢えて「ステータス」として乗っていたのが、敬遠され始める。なんだ、日本製といったって、KiaやHyundaiと実はそんなに変わらないじゃないか、などと言われ始める。これまではプレミアムがついて売れていたものが、値引きしなければ売れなくなる。家電業界の衰退と同様、自動車でも日本ブランドが、アメリカから始まり世界中で崩壊する。自動車産業の生み出す厚いマージンが支えてきた、幅広い日本の産業の裾野が、じりじりと干上がっていく。そんなことになったら本当に大変だ、せめてホンダが防波堤になって頑張ってほしい、などと無責任に考える。

パラダイス鎖国」の問題の一つは、外のことに関心を失って客観的にものごとを見られなくなり、事の重大性を正しく理解できなくなることだ、という趣旨のことを本にも書いた。それが、現実に起こってしまったのではないか、と恐れている。

トヨタ問題を扱った日本の記事の中で、もう一つ興味を持ったのが、この日経ビジネスの記事で、トヨタが米国での「人のつながり」を失ったことが背景にある、という観測である。知識や関心に加え、「人のつながり」が途絶えることも、パラダイス鎖国現象の一つと言えるだろう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100204/212520/?P=1

今や重要性を失った日本にわざわざ黒船を送り込んだり攻め込んだりする国は、まともな国の中にはないから*2、龍馬のころと違って、パラダイス鎖国していてもにわかに壊滅する危機感はない。しかし、英語でいう「Slow death」、ゆっくりとした死に向かっていく、「ゆるやかな危機」がそこにある。

ではどうすれば、という話はまた別の機会に。

*1:LTE移行、スマートフォン新興国市場の本格勃興という一連の「新フレームワークへの移行」と、これから来る「embedded mobile」への動き

*2:まともじゃない国がミサイルを撃ってくるかもしれないが