「基準から外れてしまった」人をどうするか

日本は、全体として「規範意識」の強い社会であると思う。それがいいほうに作用すれば、「犯罪が少ない」「電車も宅配便も時間通り来る」「約束を守る」「信頼できる」ということにもなるし、それは日本人のいいところだと思う。でもそれは、規範から外れてしまった人にとっては厳しい社会であるために、そうならないように皆必死になっている、という言い方もできる。

規範から外れた人に厳しいのは必ずしも悪いことではないし、そのいいところを失ってほしくはないのだけれど、何事もバランスとか時と場合とかいうものがある。前回のエントリーなどにも書いた、「学校で困難をかかえている子供」のようなケースに関しては、そろそろちょっとばかりバランスを変えてくれてもいいのでは、と思う。

たまたま、私はこうして堂々と子供の問題について書いているので、周囲の在米日本人で「普通の基準を外れてしまった」子供を持つ方の話がものすごくたくさんはいってくる。その理由は、自閉症、脳性まひ、手足の機能障害、学習障害など本当にいろいろなのだけれど、皆さん一様に「アメリカに住んでいてよかった、日本ではこうはいかない」とおっしゃる。私が「アメリカのほうがいい」話を書くと批判されることの多い昨今だが、この点については明らかに、仕組みがしっかりしていて専門家が多い「アメリカのほうがいい」と思うのではっきり言う。貧しい時代は仕方ないことだったのだろうけど、豊かな日本になったのだから、そろそろこうした人々に、なんらかの形で「個別対策のコストをかける」ことができるのではないかと思う。

前にも書いたことがあるが、それは「学習障害の子供を居心地よくするために、全体の学習レベルを下げろ」とか、「学習障害だからできなくてもいいんだ、と開き直る」とかいうことではない。黒板の字がよく見えなければ、検眼して症状に合わせた眼鏡を作るのと同じように、問題の原因をなるべく正確につきとめ、なるべく適切な対策を施すためのアクションに結びつけるという話である。そのためには、個々の学校の先生が個人的に努力をしても限界があるし、親ももちろん頑張るけれどしょせん素人だし、それぞれの分野の専門家もいるのだろうが必要な人に情報が届いていなければ役に立たない。こうしたいろいろなリソースを結びつける仕組みがあって、きちんと早いうちから手を打てば、問題を抱えた子供のうち、犯罪に走ったりひきこもりになったりする子供を減らせるだろうと思う。

我が家の子供たちも、これまで何度も書いているように、大勢の人の助けのおかげで、一つずつ問題を乗り越えてきている。彼らは放っておけば、フラストレーションから非行に走ったり、ドラッグに手を出したり、字が読めないために仕事につけなかったり、激しい刺激に耐えられずに引きこもって外に出られなくなる、などといった「苦労の多い人生」になっていたかもしれないが、今の状況からすれば、きっとなんとかなると思っている。理想的な、基準ピッタリの子供にはきっとならないけれど、でも一人で社会に出てもちゃんとやっていける大人になれるだろうと信じている。だから、日々がんばれる。

学習障害の子供を「ダメな子供」と切り捨てて隔離するだけというのも、「何が何でも、基準に達させる」ために親子に不可能な無理を強いるのも、「そのままでいいんだよ、それも個性だよ」と非現実的な甘やかしをすることも、どれも適切でない。厳しい現実社会を一人で生きていくためには、それなりのスキルがどうしても必要だから、なんとかしなければいけない。「基準から外れた場合には、個別対策ができる」というのを仕組みの中に取り入れなければいけない。全体の基準はそのままでもいいので、「個別対策のしっかりした仕組み」が必要ということだ。以前に比べれば、日本の学校もだいぶこの点よくなってきていると思うが、高校のカウンセラーをやっている友人によると、やはり「アスペルガーADHDのように『病気』とはっきり認定されればまだいいけれど、そこまで行かない中間的なケースでは、どうしていいのかわからない」という話だった。

例えば、我が家のTは、何もしないまま規範の厳しい日本の社会にいたら、脱落して「引きこもり」になるのではないかと思う。今、「引きこもり」とレッテルを貼られている人たちの多くは、こうして現在に至ったのでは、と想像してしまう。彼らを「怠け者」として単に叱咤激励するだけでも、「それでいいじゃないか」と甘やかすだけでも、いけないと想像する。

社会問題としての大人の「引きこもり」をどうすべきか、というマクロの政策話は私にはよくわからないが、「引きこもりその他種々問題予備軍」の子供たちをどうすればいいのか、というミクロの対策に関しては、アメリカの事例・研究例はいろいろ役に立つと思う。思い当たることのある親御さんや関係者の方は、ぜひアメリカの事例を参考にしてほしいと思うし、体系的に理論が整っているアメリカで勉強して日本で専門家として活躍する人が増えてほしいと思う。(なお、個人的には「政府がやる」という話はなにかとキライなので、極力民間ベースで進められるといいなと思っている。「ビジョンセラピーは儲かる」でもいいんじゃないか - Tech Mom from Silicon Valley参照)

そこから派生する脱線話として、例えば今話題の「覚せい剤」。「やっちゃダメ!」という規範づくりとキャンペーンはものすごく盛んだが、いったん覚せい剤依存になってしまった人のリハビリ施設が「少ない」という記事を読んだ記憶があるが、見つからないのでいろいろ検索した。しかし、記事が見つからないどころか、あらゆるキーワードを入れても、リハビリ施設を一覧にしたまとめサイトとか、対策のための情報ページなどのまとまったものが見つからず、「覚せい剤更正施設を舞台にしたドラマ」の芸能記事ばかりがヒットしてしまった。あるいは、「ギャンブルと借金」で人生が破滅した人の話が人気エントリーになったが、「親は勘当」「会社はクビ」というふうに、結局切り捨てられただけで、「ギャンブル依存症」の人がどこに行けば助けを求められるのかはわからず、「とにかく借金はしちゃダメ、ギャンブルはダメ」という規範の話となる。

もちろん、覚せい剤もギャンブルも依存症にならないことがまず第一なのだが、それでも人間は完璧ではないから、規範から外れる人はある程度いるわけで、その人たちを救済する仕組みもあっていいのじゃないだろうか。その仕組みがあり、情報が広く共有されていれば、依存症に足を踏み入れても、ギリギリまで隠さずに、早い段階で誰かに助けを求めることができたかもしれない。そのほうが、本人・周囲の家族や友人の幸せだけでなく、規範から外れた人を「ただひたすら隔離して一生食べさせる」という社会コストも減らせて、実はなんらかの才能を持っていてそれを発揮できるかもしれないし、社会全体の幸せの総量は増えるように思うのだ。美談でもドラマでもない。そのほうが現実的だと思うからだ。

日本でも、「規範から外れたら一巻の終わり」という恐怖「だけ」で人を縛る時代はそろそろ終わりにして、ちょっと「外れた人でも何とかなる」方向にバランスをシフトしてほしいものだ、と思っている。また、たとえ仕組みが今のままでも、親御さんや先生は、「どうにもならない」とあきらめないでほしいと思う。

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少し角度は違うが、下記の記事も似たような部分があり、とても賛同した。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090907/204164/