かみつく相手が違うのでは

こんなこと書くと、火の粉が私にも降りかかってきそうだけど、せっかく祭りになっているので敢えて書く。はい、私は文系人間です。コードは全く書けません。オープンソースについても、一般人と同レベルの理解しかありません。梅田さんとも個人的知り合いです。今ちょっと忙しいので全部の関連エントリーは読んでいません。以上、情報開示。

オープンソース当事者組の方々は、かみつく相手を間違っているのじゃないかと思う。

梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたい - yvsu pron. yas
404 Blog Not Found:梅田望夫がオープンソースを語っても残念でない理由
梅田望夫さんはオープンソースを不当に貶めている / M. Mochio Umeda injustement diminue le crédit de l'Open Source. - ふぇみにん日記(2009-05-19)

イノベーションはなぜ起きたか(上) 「指さない将棋ファン」がとらえた現代将棋の「もっとすごい」可能性著者インタビュー 梅田望夫氏(3/3) | JBpress(日本ビジネスプレス)
梅田さんにガツンとおっしゃる前に読んでいただきたい2つのURL | TRIVIAL TECHNOLOGIES 4 @ats のイクメン日記

素直に記事を読めばJBPressの話は、(例えば世界のオープンソース貢献者の数は、私がちょっと前の統計数字で知っている限り、圧倒的に欧州が多くて、次が米国で、日本は人口の割にものすごく少なかったという記憶がある、でも今は違っているかもしれないので、そうだったらご指摘乞う、まーなにしろ、オープンソース・ソフトウェアそのものでも、マクロ的には日本はまだまだ、という印象を部外者の私は持っていて、おそらく多くの一般人もそう思ってるかまたは全然ナニも知らないかどっちかと思うのだけど、それは置いといて)オープンソースを可能にした「精神土壌」や「社会的な仕組み」、つまり「こんなカネにもならないことを熱心にやって、オマエはバカだ、穀潰しだ、引きこもりだ、ニートだ、云々」などと言われることもなく、「おー、それはいいことだ」「面白いじゃん」「自分もやろう」「世の中をよくしている貴方はエライ」と言われる世界、そしてお金が儲かるわけでもないのに、ほとんどは浜の真砂のように埋もれてしまうのに、それでも気が遠くなるほどのたくさんの人が少しずつ貢献して、その中から誰かがちゃんとリーダーシップをとって組織化して動き出して、それに賛同する人が集まって、だんだんによいものになっていって、なんらかの形に結実するものが生まれ出てくるという驚くべきプロセス、そういうものが日本ではまだ力が弱いよね、根付いていないね、だけどようやく少しそういうのが出てきてるよね、と言っていると読める。*1 *2

そして、梅田さんがここで「仮想敵」として批判しているのは、「オープンソース的なるもの」の根付きを阻んでいる「旧型日本社会の悪弊」であり、「拝金主義・効率主義」に凝り固まった人々であり、「マジメにやりたいと思う人の揚げ足とって引きずりおろす嫉妬の文化と大衆の愚」、なのだろうと思う。ま、このあたりはかなり自分の意見、「アテネの学堂」論なワケだが。

いや、「オープンソース当事者」の方々から見て、上記の話が全く的外れであって、仮想敵などいなくて、日本はハッピーな世界でオープンソースは花盛り、というなら私は全く間違っているので、話を引っ込める。えらそーなこと言ってゴメンと言って消える。(実際どうなのか、どなたか体系的にちゃんと説明していただけるとありがたい。)

でも、もしそうじゃないなら、マジメにオープンソースやってる人、あるいは社会的な仕組みさえ整えば自分もやってみたいと思っている人は、梅田さんじゃなく、「仮想敵」に対してかみつくのが正しい戦略じゃないか。「xx藩の連中はユルセン、わが藩の面子をどーのこーの」と内輪もめしてる場合じゃないように思うのだが。

どうせ梅田祭りをするなら、建設的にいこうよ。徳力さんみたいに。「ネット的なるもの」を潰そうとする見えない敵のほうが強いんだから。

*1:もしかして、日本でオープンソースをやっている人たちは、常にそうやって周囲と戦っているために、過敏になって過剰反応しているのかも、とも思ったりするのだが。

*2:ちなみにわがシリコンバレーでも、前者のような批判はしばしばあり、ただ後者のように持ち上げる人もたくさんいる、という「程度の違い」ではあるのだが。