「スラムドッグ$ミリオネア」はハリウッド版「リーマンショック」かも

昨夜、アカデミー賞を独占しまくった「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。いつも行く、子供が寝静まってからの10時半の最終回だったが、いつもは私のほか、観客はせいぜい2−3人というのが普通なのに、さすがに半分ぐらい客席が埋まっていた。オスカー効果は絶大。(日本では4月公開らしい)

なるほどー、確かに、これまで見たこともない斬新な映画だなー、と感心しまくりで見た。序盤、主人公が警察で拷問されたり、子供時代にスラムでひどい目に会い続ける場面が続くのでつらかったが、途中から「それで、次はどうなるのかな???」と引き込まれた。クイズ番組で出される問題と彼の過酷な人生の中のエピソードが重なり、そこにインド社会の変化が背景としてうまく配置される。その「フォレスト・ガンプ」を思わせる寓話性が楽しく、悲しい話も多いながら、「貧困を前面に出したプロパガンダ臭」が後半なくなっていったのでほっとした。また映像の美しさや音楽・音との組み合わせや、いかにもインド映画的な「群舞」の場面を印象的に使うなど、とても丁寧に作られていて、センスがいいな、と思った。主人公の俳優さんは、私は全然知らないインド人の俳優で、虐げられたおどおどした若い青年の演技と、「踊り」の場面でのカッコよさのギャップが鮮やか。映画みながら、この場で「これはすごい」のタグをつけるにはどしたらいいかいな?と思ってしまった。

さて、ハリウッドの長期低落みたいな話はずいぶん語られていて、町山智浩さんのポッドキャストでも「作品賞がスピルバーグから手渡されたのが象徴的で、ハリウッドの時代は終わったのだ」というお話をされていた。その辺は業界人でない私にはよくわからないが、映画ファンとしてみている限り、確かにこの映画は「ハリウッドの問題点」を逆説的に映し出しているように思う。

この映画は、有名なハリウッド俳優は出ていないので、よく問題にされる高額な出演料の問題がない。スタッフも、世界最大(だか2番目だか、正確にはわからないが)数の映画を作り出すボリウッドの制作スタッフがたくさん参加しており、ロケもインドなので、この点でもハリウッドよりははるかに低コストだろう。その分を映像効果や音楽を丁寧に作るなど、ほかのところに手をかけることに振り向けることができた、と考えることもできる。

ハリウッド映画の根本的な問題は、自動車産業と同じで「高コスト体質」なんだろうと思う。それを支えているのは、独自の「映画資本市場」で、「ハリウッド」というのは、「ウォールストリート」や「サンドヒルロード」(シリコンバレーのVCが集まっている通り)と同様の響きを持つ。高額な制作費をまかなうために多くの投資家からお金を集めるが、それが大はずれしたら投資家は大損になるので、なるべく確実な「続編」や「有名俳優が出る映画」になってしまうし、また芸術家でもない投資家が「わかりやすい作品」にお金が集まってしまう。また、売り上げを上げるためにはアメリカだけでなく海外市場でも広く売らなければならないので、その国独自の好みや文化的要素が少ない、ファンタジー的で「最大公約数」的なものになる。さらに、映画館より売り上げの大きいDVD市場では、子供向けのほうがよく売れる。そんなこんなで、アメコミやディズニーなどの「アクション映画」や「動物コメディ」ばかりといったマンネリ化に陥っている、と諸所で指摘されているわけだ。

市場の話はともかく、ここでは「資本市場」という点だけに注目すると、資本市場がそれを支える「実体」部分の実情から乖離して、それだけが過熱すると「バブル」になる。今回の不況の引き金になった不動産投機と同じ状況がハリウッドにもあったんじゃないだろうか。実体部分でこうした問題がもう何年も指摘されながら、集まってくる投機マネーがあったから、仕方なく似たような「高コストCGアクション」が次々と作り出される一種のバブルだったんじゃなかろうか。

そしてついにこのご時世でそのマネーも流入しなくなってきたのではないかと思うのだが、そこにこの「スラムドッグ」は象徴的に登場した、イギリス人監督による、インド制作の「アンチ・ハリウッド」的な映画だったんじゃないだろうか。「リーマン・ショック」みたいなもんかも、とふと思ったのはそういうわけだ。

私としては、これでハリウッドが終わるのでなく、こういう「異分子的」なものにちゃんとアカデミー賞を与える度量があって、そうした多様性を「ハリウッド的なプラットフォーム」に取り込んで、自力で変化していくんじゃないか、と思っているのだけれど、さてどうだろうか。