コミュニケーションの3分割モデル

IT Mediaの小寺さんの記事を読んでいたら、「ブログに書く」というボタンに(今更?)気がついたので、(制約が多くて最近アタマにくることが多い)はてなでもスクリーンショット貼れるかいな、と実験してみたら、できた。よかった。

この記事、とても共感できる。私は「通信屋」としての立場から、別の角度から似たようなことを考えていて、そのサワリは「パラダイス鎖国」の本の中でも書いた。「コミュニケーションの3分割モデル」、とでも言っておこう。

小寺さんは「娯楽」という枠で考えておられるが、私は「コミュニケーション」という枠で考え、(1)大昔、手紙と写本しかなかった時代には、個対個の「通信」と「メディア」は未分割だった、(2)印刷術から放送までの時代、初期投資が大きい代わりに伝播力が飛躍的に大きい(=一人当たりの配信コストは小さくなる)「少数対不特定多数」の「マスメディア」が発達し、「プロの作り手」と「マスの受け手」が分離した、(3)ネットはこの二つの中間であり、通信の双方向性とメディアの伝播性を兼ね備えており、「少数対少数の複数通信」ともいえ、また「個対不特定少数のマイクロメディア」ともいえる、と考えている。「少数対少数」が数珠繋ぎになってネズミ算的に広がることもあるが、最初の一つの環だけで収束することもある。この中間領域に属するものの中でも、「複数通信」に近いケースと、「マイクロメディア」に近いケースが混在しており、この間に明確な境界線はない。

「個対個」の性質を持つ通信は、なんだかんだで、利用者負担というのがやっぱり一番しっくりくると思っている。(電子メールでも、基本的なネット接続やケータイの契約は定額でユーザー自身が払っている、という意味において。)一方、マスメディアでは広告という新しいモデルが導入された。しかし、前にも書いたようにこれは、「(一人当たりの)配信コストが十分安い」ということと、「集中モデルが必要」という意味で、ネット的な「少数対少数」コミュニケーションでは、広告モデルは難しいケースのほうが多いと思う。

世界のどこかで、誰かが画期的なやり方を考え出すまでの間、「少数対少数」の「複数通信」または「マイクロメディア」において、当分は「利用者負担」の仕組み(=娯楽の分野においては、小寺さんの仰る「セルフパトロン」システム)か、あるいは広告との組み合わせによるハイブリッド方式が続くだろう。例えば、私ははてな有料オプションにはいっているので、一部有料だけれど、はてな自身はいろいろAdSenseをあちこちに貼り付けている。このブログ自身も、AMNの広告やアマゾンのアフィリエートがはりついている。

そして、娯楽の世界においては、クリエーターとなる人と、最後まで受身の人の比率からいえば、どこまでいっても前者のほうが圧倒的に少なく、「一億総クリエーター」というのはありえないと私も思う。ただ、「少数対少数」の複数通信ととらえれば、一億全員が発信者となる日がやってくることは十分あると思う。

それにしても、NHK(=メディアの世界では珍しく「利用者負担」であるために、個別番組有料配信が比較的容易に可能な、この「下げ潮」局面で有利なプレイヤー)が、ネット配信を始めたというニュースに対して、日経新聞が社説を書いているのだけれど、「これで、テレビに関心の高い高齢者世帯にもネットが普及するかも」という結論にお茶吹いてしまった。これ書いた人、絶対ウケを狙っていると思う。なんだかなー、アメリカではこれから、オバマのおかげでブロードバンド・トラフィックが激増するだろう、と言われている世の中なんだからさ、なんとかしてよね・・・