Blog Action Dayと「共感のグローバル」

AMNの徳力さんからご案内をいただいたのをきっかけに、Blog Action Dayに参加することにした。

Blog Action Day 2008をAMNが日本のパートナーとして支援|アジャイルメディア・ネットワーク(AMN)
http://blogactionday.org/jp

最初は「We are the world」みたいなもんか?という印象だったが、別の英語のブログ記事で「ブログ・バージョンのフラッシュ・モブ」である、というのを読んで納得して、参加する気になった。このブログと、細々やってる英語ブログの両方を登録している。

10月15日を期して、世界中のブログ運営者が、「貧困」というテーマでエントリーを書く、という企画である。別に登録しなくてもいいのだが、登録しておくと、どのぐらいの数のブログと読者が参加したか、というのを把握できるということで、登録を促している。興味のある方は、このブログの右柱にあるアイコンからサイトにはいれる。寄付なども募っているが、とりあえずお金のことは気にせず、今回は「フラッシュ・モブ」のノリで参加してみるつもり。

このような企画は、このところ私が感じている「共感のグローバル」の典型だ。このところ、「第三のグローバル」という問題についていささか考えている。「パラダイス鎖国」の本の中で、ぼんやりと考えていながらはっきり文書にあらわせなかったこと、あるいは多くの読者の感想や批評を読んで感じていることが、少しずつ形になってきたように思う。それで、久しぶりに、「第三のグローバル」のカテゴリーで、少しずつシリーズで書いていこうと思っている。(「第三のグローバル」の定義は別のエントリーで書くので少々お待ちを・・・)

パラダイス鎖国」が出た少しあと、ゴールデンウィークに「若者が海外旅行をしなくなった」という現象につき、テレビ朝日に取材され、本に書いたのと同じことを意見としてお話した。その後も、いろいろな方から「そうだよねぇ、最近は海外のことなんかネットでいくらでも情報がはいるし、目新しいことなんてないよね。行かなくても済んじゃうよね。」という感想を聞いた。そのとおりだと思うのだが、だから必ずしも「鎖国する」ということにはならない、というのをどういえばいいか、わからなかったのだが、最近少しわかったような気がする。

私を含む旧世代の「海外旅行」は、「違い」を求める旅だったんじゃないかと思う。私がアメリカに初めてやってきたとき、見るもの聞くもの食べるもの、何もかもが強烈な体験として襲ってきた。その強烈な「異国感」というか、「エキゾチシズム」を求めて、その後も私は、学生時代に海外貧乏旅行をずいぶんした。

でも考えてみれば、「エキゾチシズム」はいわば「出会い頭」のショックであって、「旅行」としては楽しいけれど、それが何か生産的な活動につながるためには、そのショックを消化するための長い時間がかかる。何かを感じても、自分は何からアクションを起こすべきなのか、方向性がはっきりわからない。

ネット時代以降のグローバルは、こうした「違い」や「エキゾチシズム」のショックを求めるのではなく、「共通のもの」「共感」を求めるものじゃないか、と思うようになっている。今まで、「国」という縦割りの中でしか得られなかった類の「共感」を、世界各地の共通の興味を持つ人たちとの間で、「横串」をさしたように、薄く広く、感じることができるようになったのが、「双方向性」と「伝播性」を兼ね備えたネットの時代の特徴だ、と思うのだ。

その「共通の興味」が、このBlog Action Dayの「貧困」のような、ユニバーサルで重大なテーマの場合もあり、あるいは「この映画のファン」程度の話の場合もある。どの場合であっても、そのコミュニティに集う人たちは、住んでいる国や文化の違いなど関係なく、「共通の話題」で盛り上がることができる。すでに、最初から「共感」をもって集まっている。目的意識も近い。

だから、そのエネルギーが「アクション」につながることも比較的容易だ。「異国感」を乗り越えるための時間や苦労は必要ない。エキゾチシズムの楽しみは減ってしまったかもしれないけれど、その代わりに得られるものはもっと大きい、と私は思うのだ。

江戸時代、他の藩に属する人は、「他国」の人であった。言葉も習慣も違い、「共感」ではなく「異国感」の対象であった。その人々が、「日本」という単位にまとまった後、今でも方言や習慣の違いはあるけれど、「同じ日本人」というアイデンティティをもつ、「共感」の対象となった。それが悪いことだという人はいないだろう。それだからといって、日本のほかの地方に旅行することを皆がやめてしまったわけでもない。海外だって、エキゾチシズムがなくなったから行かない、ということにはならないだろう。

今、海外から日本にやってくるアニメのファンというのは、日本に「フジヤマ・ゲイシャ」時代のようなエキゾチシズムなど求めていない。「アニメ」という横串の共感を求めて、やってきている。シリコンバレーにあこがれてやってくる日本のエンジニアは、「自分の能力やライフスタイル」に共感する人の多い場所を求めてやってくる。

私が「パラダイス鎖国」の中で書いた、「軽やかなグローバル化」とは、もうちょっとセオリー的にいえば、こういう言い方ができるかな、と思っている。

その意味で、まず自分でも、「ブログ界の共感」イベントである、「Blog Action Day」一大イベントに参加してみよう、と思っている。やって何かが起こるのか、新しい発見があるのか、わからないが、まずは人体実験してみる。こういうものは、少しでもたくさん参加者がある、ということ自体が面白いので、日本からも是非どんどん参加してみてほしい。

ということで、このシリーズ、続く予定です。