「レミーのおいしいレストラン」に見る、「北カリフォルニア文化」の魅力

日本題上記、英語原題「Ratatouille(ラタトゥイュ)」のDVDがNetflixでやっと来たので、子供と一緒に見てみた。私はネズミが嫌いなので最初はちょっと引いていたのだが、意外に面白かった。

これまでの「特殊効果」や「CGアニメ」といえば、その技術の使い道がおもに、「宇宙空間やファンタジー世界の壮大なバトル」とか、「巨大なサーキットでの自動車レース」とか、日本の「Always - 三丁目の夕日」のような昔の風景の再現とか、だいたい「壮大なもの」に向かう傾向が強かった。このため、CG映画といえば、戦いや競争の場面がつきもので、ストーリーは画一的に陥りやすかった。このあたりが、「CG嫌い」の人が多い一つの原因ではないかと思う。

しかし「レミー」では、全く違う新しい使い方を思いついた、というところが凄い。「レミー」を見た息子の感想第一声は、「グラフィックがすごくて、食べ物がものすごくおいしそうに見える」ということであった。ピクサーの映画というのは、これまでも「ほら、ボクラの映像技術、すごいでしょ」とこれ見よがしに見せ付けるような部分がいつもあって、例えば「The Incredibles」では人物の髪の毛が一本一本描き込まれているとか、「Cars」ではピカピカした自動車のボディーの質感、みたいなものがそれに当たる。

レミー」でもいつものように、ネズミさんたちのふわふわした毛やひげが一本一本見えて、光の当たり方や微妙な色の混ざり具合などが、マニアックに細かく表現されている。ネズミの動きや発する音なども、とてもリアルである。(最後のクレジットの中に、「100%アニメーション、モーションキャプチャーは使っていません」という「認証マーク」みたいなものが出てくるので、笑ってしまった。)このあたりは、「ここまでやる必要があるのか?」という商売的な打算を超えた、「マニア」や「ギーク」の文化が色濃く見えて、面白い。(「ここまで必要なのか?」と思うほどの膨大な人数を書き込んである、ブリューゲルの絵を思い出した。)

しかし、それだけではない。「レミー」では、美しく盛り付けられたフランス料理や、野菜やフルーツやチーズなどが、実に美しく、おいしそうに見えるのである。同じ技術の使い方として、こういう表現で見せ付けるということを思いついた、というのを評価したい。

DVDの「ボーナス・フィーチャー」にはいっているインタビュー編も面白い。この映画の監督、ブラッド・バードは、ピクサー側でなくディズニー側の人のようだが、制作のピクサーはご存知のように北カリフォルニア(正確には、サンフランシスコからベイブリッジを渡った対岸にある、エメリービルという町)にあり、この映画の制作に協力したのが、ナパで最も有名で最も予約の取れないレストラン、「フレンチ・ランドリー」というお店なのだそうだ。(私も、ナパには何度も行っているが、ここで食べられたことはない。)インタビュー編では、バード監督と、フレンチ・ランドリーのシェフ、トーマス・ケラー氏が、「映画作り」と「料理」の共通点について語っている。細部へのこだわり、創作への執念、チームワーク、作品に対する愛情など、いくつも似ているところがある、というお話だ。

レミー」のストーリーは、いくつかのテーマが織り込まれているが、私が一番共感したのは、「クリエイティブであることの重要さ、そのために支払うコスト」といった部分かな、と思う。伝統的なレストランで、「看板だけを利用して商業主義に走る人」「先代のシェフが残したレシピに忠実であろうとする人」に対抗して、主人公たちは「クリエイティブなもの」を作ろうとする。さらにレミーは、「ネズミ」という、レストランでは最も忌み嫌われる生き物なのである。それなのに料理に執念を持ち、クリエイティブな料理を作ろうとする。その難しい環境をどうやって打破していくか。志破れたレミーが、悩みながらもお父さんのもとを離れていく場面で、「どこへ行くんだ?」と聞かれ、肩を落とし弱々しい声で「Forward(前へ)。」と答えるところが印象的だ。舞台はパリなのだが、その「気分」はとっても北カリフォルニア風である。そして、最後のオチも、まるでシリコンバレー風なのだ。

マニアックなCG技術と表現への熱意、ワインや豊かな地元の農産物に支えられた「美食文化」、そして「クリエイティブなこと、劣勢な環境を打破するパワー」を賞賛する精神文化。アメリカのどの地域とも、世界のどことも違う、北カリフォルニアの魅力が満載された映画、だと思ったのは、私一人かもしれないけれど。(笑)

さて、今日の夕食は、家庭料理風「ラタトゥイユ」でも作るとするか・・・