アメリカ人の育て方3 - 親に甘〜いアメリカは高出生率
このシリーズに関しては、「日本はこういうところがダメだ」という書き方はなるべくしない方針でやってきたのだが、いくつか日本の特殊出生率1.25について、アメリカと日本の比較の話を読んでしまって、つい言いたくなってしまった。
「愛国心」との関連性については全くコメントのしようがないが、「アメリカの子供の数」の話は、生活感覚として、白人の家庭でも一般に子供がいる家が多く、数も多いような感じがする。さて、それはナゼか?
日本とアメリカしか比べられないが、私的には、「アメリカは親に甘いから」だと思う。
昔、竹内久美子さんという動物学者の本が流行したことがある。「身勝手な遺伝子」論で、男と女の話などをスルドく面白く解説していて、一時はまって読んだ。その中の一つに、「イギリスのような、ロクなもの食べていない国ほど、偉大な科学者を多く出すのはなぜか」という話があった。(アメリカは優秀な科学者が移民で集まってくるという特殊性があるので、一応議論からは除外してあった。)「日本のようにグルメな国では、妻を選ぶときに料理が上手いことが極めて重要になる。このため、妻として選ばれる女性は、料理がうまく、家をキレイにしてつつましく家を守るタイプに偏ってしまい、例えば動物とかコンピューターとかが大好きだけど家事は全くダメ、みたいな女性は結婚できない。一方、イギリスでは、料理も家事も下手、という女性でもあまり問題にならないので、家事は下手だがお勉強は優秀な女性も結婚でき、遺伝子が多様化するので、優秀な子供ができる」という話だった。
この話がどこまで本気か、という話はさておき、ロクなもの食べていない国、アメリカのお母さん仲間たちは、ホントーに、料理をしない。いや、料理大好きな人はいて、そういう人は大変熱心に料理する。でも、しない人のしなさ加減は、日本のまともな家庭では想像を絶するしなささである。そして、そういう人が多い。また、料理する、といったって、日本の基準から言えばこれまた激しくいい加減である。しない人はどうするかというと、スーパーで売っているローストチキンとか、中華料理のお持ち帰りとか、マクドナルドのドライブスルーとかで毎日しのぐ。いわゆる下層階級だけではない。それなりの栄養には注意している中流以上の家庭でも、サラダを入れたり、付け合せ野菜のある「ボストンマーケット」でお持ち帰りとか、そういうのでオッケーなのだ。
そういう世の中なので、子供に持たせるお弁当はいい加減でも全然大丈夫。アメリカ人の家庭では、「毎日ピーナッツ・バター・アンド・ジェリー・サンドイッチ(ピーナツバターとジャムを張り合わせた、アメリカの子供の国民食)」だけとか、「毎日パスタ(ゆでただけで何もソースもつけていないもの)」だけ、なんてのはざら。保育園や学校でホットランチを買うことができるが、それが「ピザ」とか「マクドナルドのキッズ・セット」などというのは、日本では卒倒しちゃうだろう。
だから、確かに肥満の子供が多いという問題はあって、そりゃぁ毎日マクドナルドばかりではいけないが、一週間に一度ぐらいは別にいいじゃないか、と思う。来る日も来る日も、際限なくやってくる三度の食事ごとに、子供と亭主の献立を考える主婦のストレスがどれほどのものか、やっていない人にはわからないと思う。私だって、若い頃には、そういう母の苦労はわからなかったが、今は食事の時間が近づいてくるのが怖い。元気なときはまだいいが、締め切りと睡眠不足でギリギリのときなど、「もう、誰もゴハンたべるなー!一回ぐらい食べなくても死なないぞ!」と怒鳴りたくなる。
日本でも、外食や店屋もの、というのはあり、特に働くお母さんはそういったものを使いながらなんとかこなしていると思うが、そのたびに「後ろめたい」思いをしなければいけない。でも、アメリカは全然オッケーなのである。ここに、大きな違いがある。
忙しくてゴハンを作る時間がないときに、マクドナルドをテークアウトして一緒に食べながら、ゴハンを作るという膨大なエネルギーを節約した分、子供とゆっくり話をしたり、一緒に遊んでやったり、イライラせずに宿題を見てやったりできるほうが、余程いいんじゃないか、と私などは思う。
で、「私は料理はしない」と堂々と宣言しているお母さんの子供が、不健康でデキの悪い子供かというと、そんなことはない。ちょっと変わったお母さんで、子供もちょっと変わっているけど優秀で、「あ〜、きっとこういうのが将来、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブスみたいな奇才天才になるんだろーなー」と思わせるところがあったりする。
アメリカは、私のような、家事の苦手なお母さんに対して、「甘い」世界である。日本式の幼稚園のお弁当を毎日作るなんて、私には絶対できない。
料理の話だけではない。日本で帝王切開で出産した知り合いは、医者がへたくそで、いったん打った麻酔が切れてから腹を割かれるというヒドイ目にあった(ランボーじゃないんだぞ!)挙句、術後もひどい痛みが続いたのに、看護婦は「出産は痛いのがアタリマエです」といって、痛み止めの注射も打ってくれなかったそうだ。いや〜、日本では出産も相変わらず母親にキビシイものである。一方、当地では、普通のお産でも、麻酔を使った無痛分娩が普通である。それ自体についての是非の話はさておき、ここでもアメリカは母親に甘い。出産は一瞬のことで、その後長いこと子供を育てる時間とそれに要するエネルギーに比べれば、本当にわずかなものである。ここで痛みという敷居を下げてあげることで、やっぱり子供を生んでもいいか、と思うようになる女性の数って、実はものすごく多いのじゃないかと思う。
それから、「車社会」というのも助けになる。日本では、子供を連れて電車で移動するのは、本当に肩身が狭い。長い時間、静かにじーっとしていろというのは、小さい子供には不可能だ。それでも、ようやくしのいで都会の駅で降りると、サラリーマンのおっさんたちが、混んだ歩道をタバコを持った手をぶらぶらさせながら歩いていて、ちょうどその手の高さが子供の顔あたり。気が気ではない。ベビーカーと荷物を持って駅の階段を上がり降りするのも大変だと思っていたら、「そういうことを言う母親は身勝手だ、子供はおんぶしろ」などと言われてしまう。アメリカなら、うるさい子供は車の押し込めたまま移動すればよい。タバコも駅の階段も心配しなくてよい。
そして、目的地に着いてベビーカーを押していると、近くにいる人がドアを開けてそのまま待ってくれて通してくれる。荷物を車に乗せるのに苦労していれば、通りがかった男性が、子供を見てニコっと笑って、手を貸してくれる。子供が騒いでうっかりおじさんにぶつかっても、謝ると「いやぁ、うちも男の子3人だからねー、慣れてるよ」などといってニコニコ許してくれる。
会社で仕事していたときも、子供が熱だしたときは、「じゃ、今日は家で仕事します」と電話すればコト足りた。まぁ、確かに出世はしなかったけれど、誰もそれを批判しなかったし、他の男性たちも、よく同じことをやっていた。
うちの息子のように、ちょっとした学習障害がある、といった「変わり者」の子供を持つ家では、また別の甘さがアメリカにはある。読み書きができなくても、子供を非難したりやたらとプレッシャーをかけたりせず、親や専門家も入れて対策会議をやり、やむをえない原因があれば、テストの仕方を変えてくれたり、といった「調整」をしてくれる。知り合いの日本人の家で、字を書いたり作業をしたりしようとすると、手がふるえる子供がいる。障害というほどの障害でもないが、日本にいる頃は、何かとそのことを先生からも指摘されたし、「○○ちゃんの絵はヘンだ」などと他の子供に言われたりした。別に、非難されるのではないが、何かと「指摘」されるのである。それが、アメリカに来たら、誰も何も言わない。うまくいかなくても、しかられない。全く、関係ないのだ。そんな世界にやってきて、3人子供のいるその家庭では、アメリカ永住を決意した。
このエントリーを書いておられる方はどうやら男性のようなので、日本の子育て大変さはアメリカの1.25倍と書いておられるが、母親からすると、こうしたありとあらゆる甘さを全部ひっくるめて、少なくともアメリカのほうが5倍はラクだと思う。だから、私のような、家事は大嫌いで、いわゆる子供の相手というのもへたくそな母親でも、なんとかやっていける。
ただ、一応断っておくが、「アメリカ」「日本」とひっくるめることには、いつもながらやや躊躇はある。日本でも、東京に出ずに、地元で自転車と田舎電車だけで生活していれば、それほど大変ではないし、のんびりした地元ではオバチャンたちも皆子供に親切だ。(だから、東京は出生率が一番低いのはよ〜〜〜〜くわかる。)アメリカでも、ニューヨークの街中なら、東京並かもしれない。「車社会」もいいところもあるが、だから子供がどこに行くにも親が連れて回らなければならず、玄関で「いってらっしゃーい」で済む日本はいいな、と思うこともある。だから、これはまぁ全体的な、印象の話だと思って聞いて欲しい。
息子の友達のお父さん(非日本人)から、先日「日本では、みんな子供をつくらなくて大変なんだってね。あなたは平均を上回る2人も日本人の子供を作ったんだから、国に帰ったら英雄だね。」と言われたが、思わず「いや、そんなことないんですよ。日本では、子供が何かと邪魔者扱いされて、電車に乗っても嫌な顔されるし、誰も子供づれに手を貸してくれない。だから、子供が少なくなるんですよ。」と答えた。アメリカでもこのところ、教育問題でいろいろあって、時々「日本に帰ったらどうかな・・・?」と思うこともあるが、やはりこのダメ母親は、甘〜いアメリカでないとやっていけそうにない。