アメリカ人の育て方

ウチの息子は、アメリカの現地校と日本語補習校の両方並行して行っているので、両国の子供の教育の進み具合がつぶさにわかって、なかなか面白い。アメリカといっても、州によって教育要綱が違うので、下記はカリフォルニア州の話。

一般に算数は日本のほうが進んでいると言われる。確かに、少し日本の学校のほうが進んでいるかもしれないが、ウチの息子は早生まれで、日本の学校のほうが半年ぐらい進んでいる勘定になるので、それほどものすごい差があるようには思えない。最近、カリフォルニアでは「算数の新教育方針」というのが出て、概念を一つずつしっかりと覚えて進んでいくのではなく、やや難しい概念でも小さいうちにざぁっと紹介し、完全に消化しないでもよくて、次の年、またその次の年にもうちょっと進んだやり方でまた同じ概念に戻ってきて、スパイラル式にだんだんと消化するというプログラムをやっている。そのため、割り算もちょこっとしかやっていないのに、分数をもうやったりする。だから、どちらが、というのははっきり言えない。

理科は、日本のほうが物理を早く教える。カリフォルニアでは、scienceといってももっぱら自然科学ばかりで、動物や植物しかやらない。最近、ようやく地球や月や太陽をやりだして、少し面白くなってきた様子。日本では、電気をもう扱っているので、息子は日本の学校のほうが面白いようだ。お父さんがバリバリのシリコンバレーのエンジニア、という家庭では、「こんなんで、大丈夫???」ととっても心配している。

さて、この二つは、最終的には万国共通の概念を教えているので、少々進み具合が違うだけだが、「うーん、なるほど、アメリカ人というのはこうやって育てるのか・・」と感心するのが、下記のような点だ。

1)社会。日本でも「社会科」は3年生から、カリフォルニアでも本格的には2年生からだったが、日本は今(4年生の初め)に至るも、商店や消防署や警察署、商品の流通、といった「身近な事象」を習っているのに対し、カリフォルニアでは昨年の2年生でいきなり、「最高裁判所の判事は誰と誰と誰・・・」、なんぞというリサーチ作文を書かせられ、「えー、私だって知らないよー!」と面食らった。(それまでは、「ネイティブ・アメリカン文化」など、アートと社会の混合みたいなのしかなかったのに)来週ある社会のテストでは、「三権分立」(私は、読めば理解できるけれど、この3つを英語で言えと言われたら、正式名称*は言えなかった。勉強になる・・・)とか「初代3代の大統領の名前とそれぞれの功績」(ちなみに、今の大統領と州知事はもう去年習った。「アーノルド・シュワルツネッガー」なんて、オマエ、覚えやすすぎだろ、ずるいよ・・)なんてのをやるわけ。いや、もちろんどっちがいいとか悪いとかは言えないが、ずいぶん違うな、さすがアメリカだな・・・といたく感心している。日本の小学三年生で、「日本の首相の名前」「自分とこの県の知事の名前」を知っている子がどれだけいるだろう?うーむ・・・ちなみに、それでもアメリカ人はパーティの席ではあまり政治の話はしない。ヨーロッパ人って、いったいどういう教育を受けているのだろう???

2)「Show and Tell」の風習。保育園で2歳のときから、週に一度は自分の好きな玩具や見せたいものを園に持ってきて、みんなの前でそれを見せながら何か話す。「をーーーー、アメリカ人のプレゼンテーション好きは、こうやって2歳のときから仕込まれてるのか!なるほど、私がどうやっても勝てないわけだ・・・」と脱帽。個性もあるのだろうが、こうして仕込まれたうちの息子は、たとえワケがわからなくても手を挙げるし、何か「ボランティア」を募られれば、ワケがわからなくてもボランティアするようになっている。

3)「国語」としての英語。私が習った英語はあくまで外国語としての英語で、せいぜいsurvivalレベルである。いかに当地で大学院に行っても、どこまでも「外国人留学生」としての甘えがあって、単にスペルとか文法とか言うことではなく、「きちんとした英語」というのは、どこでも習っていないし、今でもほとんどできない。息子がやっているのを見ていると、なるほど、自国語としての英語の流儀、というのはこういうことか、と改めて勉強になる。例えば、英語では同義語がやたらたくさんある。「映画」を表すのに、movie、film、cinema、flixなどと、いろいろあって、外国語として習っていると、「ヤメテー、どれかに統一してー!」と思う。ところが、英語の作文の流儀では、同じ意味の言葉でも、一つのまとまった文章の中で、同じ単語を繰り返すのは「子供っぽい」のでダメ。だから、いくつも同義語があって、これを交代で使う必要があるのだ、とこれまた感心。日本語でも、4年生ぐらいで単なるsurvivalの言語から、学問で使うような言語になるので、この時期を過ぎるまではしっかり日本語をやらせなさい、と何度も言われたが、英語でも同じことのようだ。おかげで、今年は作文の宿題はもう、私でもほとんど手伝えない。最近、趣味の英語ブログをやるときに、こんなことも一応気にしながら書くようにしている。それにしても、作文はとてもきつい。「知識階級」として尊敬されるためには、算数や理科よりも、まずは言葉、それも書き言葉を上流ふうにやらないといけないんだろうな・・と思う。読み書き障害のある息子にはとてもついていけない・・・(溜息)

こうやって、ベースは「アメリカ人」のメンタリティができている息子たちが、日本の学校で日本の文化なり流儀なりを、どういうふうに受け取っていくのか、というのも、とても興味深い。アメリカ人が日本をどう見るのか、というのの手がかりにもなりそうで、ついつい息子たちを面白がって見てしまう。

(*)ちなみに、「Legislative Branch」「Executive Branch」「Judicial Branch」です。