学習障害の「科学技術」「教育」「気づき」

昨日のエントリーの続き。今日は、薬物依存とか日本人のメンタリティの話でなく、話を「学習障害対策」に絞る。そして、話を3つの部分に分けることにする。


1.科学技術と創意工夫

学習障害対策にも二つの側面があって、一つは「科学・技術」としての面、もう一つは「教育」としての面である。まずは前者。

例えば、ホームレスに炊き出しをするとかお年寄りの下の世話をするとか、そうした一般的に「福祉」として扱われる作業と比べて、学習障害対策の決定的な違いは、「最先端の科学・技術」であるという点だ。

自分でやってみて初めて知ったが、比較的研究の進んでいるアメリカでも、学習障害発達障害は日進月歩の最先端分野なのだ。脳や神経の仕組み、脳が学習していくメカニズムなどを解明する医学と、問題があったらどう対処するかのセラピーなどの技術が組み合わさっており、まだわかっていない部分、通説として確立していない部分、試されているが確認されていないやり方などがものすごく多く、情報はあちこちで偏っている。学校の専門セラピストでも当然全部を知っているわけでなく、私が調べて持ち込んだ情報を「へぇ、知らなかった」といって興味を持ってくれたりすることもあった。

先端技術といっても、薬では対処できない部分が多く、人手をかけた診断・セラピーが必要で、スケーラビリティがなく、だからベンチャー的な「大もうけ」はできない。だから、バイオテクノロジーや製薬会社などといったくくりでもニュースバリューがなく、メディアではあまり報道されない。でも、「スモールビジネス」的な専門クリニックなどで、商売として地道に行われていて、やっている人はそれなりにちゃんと報酬をもらって商売が成り立っている。

最先端技術なのだから、研究にも普及にも最初はお金がかかる。だから、優秀な専門クリニックはしっかり儲けて、優秀な人が多数集まり、研究にお金がかけられるようになるべきだと思う。いきなり全米くまなく、誰にでも行き渡るようにというのは、現実問題として無理だ。研究者やクリニックの創意工夫が金銭的に報いられる仕組みでないと、試行錯誤はできない。全員に行き渡らないならやってはいけない、という悪平等よりは、最初はお金のある人だけしか受けられないセラピーであっても、まずは実績を積み上げて技術を育てよう、という考え方のほうがいいと思う。最先端技術とは、何でもそういうものだと思う。

私がこれまで何度か書いてきた我が家の実例でも、学校で対処している「すでに確立したセオリーの部分」とは別に、「ビジョン・セラピー」「聴覚セラピー」は、学校とは関係なく、専門クリニックでたくさんお金を払ってやってもらった。その実例を学校の対策会議で校長先生や専門セラピストに伝え、また先生方もビジョンセラピーによりわが息子が劇的に良くなった実例を見ているので、校長先生は学区全体で報告してくれた。そして、何人かの学区内の先生が「ビジョン・セラピー」に関する研修を受けることになった。それでいきなり先生がビジョンセラピーを施せるわけではないが、ビジョンセラピーで治る子供をスクリーンし、なんらかの助言をすることまではできるだろう。我が家が大金払って「人柱」になったおかげで、学区内の比較的低所得の人が住む区域にある学校の先生も含め、最先端知識の普及が半歩進むなら、それはとてもよいことだと思っている。

日本では、教育や医学や技術に関して、欧米で先達がこうしたコストを払って「試行錯誤」した結果、ある程度確立したセオリーを全国一律で導入することでうまくやってきた、というのがこれまでの実態なのだと思う。しかし、いまや日本は「欧米と同レベル」なのであり、自分たちも同じように「コストを払って試行錯誤」しなければいけない、同じ地平に立っていると思う。


2.教育

次に、「教育」としての側面。コメントなどで指摘があったように、学習障害ケアの実態レベルは、州ごとどころか、隣の学区とウチの学区でも違う。しかし、大枠としての仕組みは全米一律で存在する。「Individualized Education Program(IEP)」といい、これは「Individuals with Disabilities Education Act (IDEA)」という法律で定められている。学区ごとに一定の手続きを経て「個別対策」が必要と認定された子供に対して、普通の教育過程とは別に、それぞれの状況に合わせて、「学年の終わりまでにこれこれを何%できるようにする」「そのためには、これこれの教材を使ってこうやる」といった、細かい目標設定と対策を行うことが義務付けられている。目標設定と進捗報告のために、年に最低2回、校長先生・担任の先生・専門セラピストや心理カウンセラー、そして両親で集まって、会議を行う。(これが、上記で私が書いた「対策会議」のこと。)

ただし、これをどこまでどうやってきちんと運営するかは、個々の学区や学校の判断による部分が大きいので、実態としてはいろいろばらつきがある。隣の学区はIEP対象者が「0」という話を聞いてぶったまげた一方、ウチの小学校では、校長先生が特に力を入れてくれて、いままでバラバラになっていた対策教材を一つの教室に集め、専門のセラピストの先生をそこに常駐させて、子供たちが必要に応じてその教室に出たり入ったりして、少人数で特に弱い部分の指導を受けられるようにした。セラピストの先生も、若くてとても熱心で、ここで教えながら大学にもまだ通い、研究を続けている。パートタイムでこの教室で指導を受ける子供はかなり多く、だからここに行くからといってそれほど「特別」「落伍者」という目ではあまり見られない。担任の先生も、これなら自分ひとりで背負い込まなくてよい。

そのおかげかどうかわからないが、この校長先生になってから、ウチの小学校の州標準テストのスコアがものすごく上がり、おかげでここ数年、ウチの学区に引っ越してくる家族が増え、入学希望者が増えすぎて、そろそろパンクしそうである。この校長先生は、必ずしもお金をたくさんかけたわけではない。限られた予算の中で、創意工夫と熱意で実績を挙げたのだと思っている。(まぁ、予算はいつも足りないので、学区では寄付をいつも募っていることは確かだけれど。)そして、私のような親も、それぞれ個々に努力して先生方に協力することで、少しずつ貢献していると思っている。


3.気づき

こうした話を私がここにこまごま書いているのは、「気づき」のきっかけになればいい、と思うからだ。まずは、気づかないと何も始まらない。

私自身も、上の子Sのときに、「この子は何か根本的に問題がある」と気づくまで、実はかなりの年月を浪費した。小学校2年のときに、担任の先生に指摘されたのがきっかけだった。それまでは、「この子がちゃんとやらないから」「サボっているから」と思い、また「私の勉強のやらせ方が足りないのでは」「私の教え方が悪いのでは」などと考えていたし、「バイリンガルだから仕方ないわよ」「そのうちなんとかなるから心配いらないわよ」というお気楽な外野の声も多かった。でも、物心ついてからそれまでの数年間、本人は泣き喚き、自傷し、苦しみ続けていたのだ。早く気づいてやれればよかったと本当に思う。(「視覚発達障害」カテゴリーを参照)

前々回のエントリーに春さんからいただいたコメントのように、気づかずにスルーしてしまうことも多いのだ。その結果、春さんの場合はご本人が納得してなんとかなっているようなのでいいけれど、そううまく行かない場合もある。(それにしても、「算数障害」というのもあるのだ!と初めて知りました。ご指摘ありがとうございます。)

特に、私が耳にする日本のケースでは、政府とか先生とかでなく、「親」が最大の「規範強制」要因となることが多いような気がする。「この子が養護学級なんてとんでもない、普通学級になんとしても入れなければ」といって、先生にも生徒本人にも基準に合わせることを無理強いする、といった話だ。その結果、専門家でもない先生は、他の子供にかける時間を削られたり、悩んでしまったりするだろうし、本人も延々と無理を強いられた生活になってしまう。

まずは、一番子供のことをよくわかっている親御さんに気づいてほしいし、またなんらかの問題があっても「対策はある、きちんと対策すればなんとかなる」という安心感があれば、隠したり無理したりせず、早めにしかるべきところに相談することができるだろう。

それにしても、学習障害に関する情報の質と量が、英語のウェブと日本語のウェブでは、絶望的なほどの格差がある。まさに最先端の部分であり、また必ずしも商売に直結しない「知」の流通の部分であるこの分野で、日本のウェブは英語圏の世界から隔離されていると痛感してしまう。

私もこうしてほそぼそと書いているが、こういた情報の格差を「ビジネスチャンス」と見て参入してくる人が増えるといいなとも思う。具体的には、まずはここにも書いたように、アメリカで専門分野を勉強して日本に持ち帰る人が増えて欲しいと思うし、またそういう専門家がクリニックなどを開いて、きちんと儲けられるだけのお金を受け取れるようにしてほしいと思う。全国津々浦々まで「福祉」のレベルとして普及するのは、その次の段階でいいだろうと思う。あるいは、お金の払えない人に公的機関が「特別に融資する」などの「個別対策」を用意するようにすればよいと思う。

また、親御さんも、少しでも英語の出来る人は、私の過去のエントリーなどを参照して、英語の資料にアクセスして勉強していろいろなところで発言し、「気づき」のチャンスを広めていただければ嬉しいと思う。