Converged Devices その1:iPodは携帯電話と融合するか

10年ほど前のことになるが、嘉門達夫というお笑い芸人が局地的にはやったのをご記憶だろうか?彼の替え歌シリーズの中で、「フニクリ、フニクラ」の節で、「ラテカセ、ラテカセ」と歌っているものがあった。「ラジオとカセットをくっつけたら当たったので、今度はテレビもくっつけた、でも全然売れなかった、ラテカセ、ラテカセ・・・」という内容だ。「あらゆる携帯機器は、いずれ融合する」という記事などを見るたびに、この歌を思い出してしまう。

融合機器=converged devicesの分野で、最近の大ヒット作は、カメラ付き携帯電話であろう。アメリカでは、社会的現象となっているiPodが、携帯電話と融合するかどうか、というのが業界では今大注目の話題である。

結論から言うと、私はそうならないとずっと思っている。多少但し書きつきではあるが、iPodが携帯電話に喰われて、なくなってしまうとは思わない。そして、iPodを自分で買って使ってみて、その意をますます強くしている。

消費者向けの携帯機器というのは、極めて「フォーム・ファクター」(形状や重量などハードのデザイン)に敏感である。この敏感さ、微妙さというのは、かえってtech savvyな人々にはわからなかったりするのだが、広く一般消費者に使われる機器ではこれが生死を決めるとまで言って良い。

私はこんな仕事をしていながら、gadget freakでもtech savvyでもなく、ハードウェアに関してはlate adopterである。単に安ければよいと購入したAT&Tワイヤレスの小型のキャンディーバー型の「無料」携帯端末をしばらく使っていたのだが、昨年春のCTIA展示会の前に、さすがに恥ずかしいのと、電波が届かない問題がひどかったので、ベライゾンのLG製折り畳み端末に替えた。せっかくだから、カメラもついているのにした。すると、それまでいつも外出時に持って出るのを忘れていた携帯電話を、あまり忘れなくなったのだ。自分でもこれには驚いた。

LGの端末は、なんとなく手に持ったときしっくりする。ズボンのベルトにつけられるクリップが同梱されていて、腰につけた電話に簡単に手が届く。電話を開くときの「パカッと感」は軽く、左手だけの操作が簡単にできる。前方を見ながら、ちらちらとボタンを見るだけでもダイヤルができるよう、番号キーがシンプルで見やすく、ボタンを押し下げる感覚も軽すぎず、間違いをしにくい。外出時間の大半を車の運転で過ごす生活の中では、こうした使い勝手は気持ちがよい。

ちなみに、日本でも携帯電話を一台契約しているが、こちらは同じ折りたたみ式でも、両手で操作する日本的ライフスタイルにより合っている。バッグの中に入れて持ち歩いても簡単に開かないように、「パカッと感」はやや硬めだったりする。

こうした「しっくり感」のある端末は、なんとなく愛着がわく。それで、携帯電話を忘れなくなったのだ。

さて、このlate adopterは、昨年秋から大流行のiPodを、昨日になってようやく入手した。箱を開けてiPodを手に持った瞬間に、この「愛着」がじわじわと湧いてきてしまったのだ。つるつる、スベスベした外観と手触り、適度な重量感、さわるだけで操作できるシンプルなジョグダイヤル、もちろんベルトクリップも同梱されている。そして、これをパソコンにつないで同期させるという段になって、ますます「こりゃ〜、よくできてる!なんと簡単!」と大感心してしまった。ソフトをインストールするのも簡単で、そこまでできれば、あとはUSBポートにつなぐだけで、キーの操作どころではなく、Palmみたいな「ボタンを押す」ことさえ必要ない。音楽ファイルの移し方、プレイリストの作り方なども、パソコンを使っている人なら、マニュアルも何もなく感覚的(=intuitive)にできてしまう。

なるほど。よく練られた端末である。これなら、流行るのも無理はない。

さて、ではこのintuitivenessを、携帯電話に融合してもキープできるだろうか。答えは「否」である。携帯端末は、電話としてのしっくり感に最適化されてきている。ボタンがたくさんあるのも、電話がある限り、なくすワケにはいかない。これだけの大量の楽曲を保存するだけのハードディスクを内蔵したら、ガタイが大きくなるし、また電池寿命が悪くなる。電話を受けたり発信したりするのは何もメニューを操作できずに使えるが、音楽を聴こうと思ったら、最低でもいくつかのボタン操作が必ず必要になる。つまり、音楽端末としても、電話端末としても、最適の山をはずれた、「使いにくい電話」と「使いにくいiPod」の組み合わせになってしまうと思う。複雑な操作も苦にならないtech savvy/gadget freakはそれでもいいのだろうが、私のような、世の中の一般大衆は、そんなに難しいことはやりたくないのである。

但し書き、というのは、カメラと同様の状況もありうる、ということである。携帯についているカメラは「非常用」であると割り切ってよい。本気で子供の運動会や旅行先での写真を撮ろうと思ったら、携帯端末でなくデジタルカメラを使うだろう。わざわざカメラを持ち出していないが、写したいものが突然出現したとき、画質も使い勝手もよくないが、ないよりマシということで携帯のカメラを使う、というのが大半の人ではないだろうか。携帯のカメラがメガピクセルになっても、やはり電話に搭載する限り、レンズは極小のものしか使えないし、ズームやシャッタースピードなどの機能はデジカメには劣る。つまり、「間に合わせカメラ」なのである。

音楽端末も、メインの端末でなく、なんらかの理由で急にこの音楽が聴きたい、というときにちょっと使える、「間に合わせ偽iPod」なら、あり得ると思う。でも、これはあくまで、本物のiPodを持っていて、それとは別に音楽携帯も持つ、ということになる。日本での「着うたフル」というのが、具体的にどんなふうに楽しまれているのかよく知らないが、iPodのように、大量の楽曲を保存して流すような使い方ではないはずだ。「自分の好きなアーティストの曲数曲を肌身離さず持っていたい」という着うたフルと、数千曲をだーっと転送して持ち歩くiPodは、存在意義が違う。

それにしても、携帯電話もiPodも腰につけて、そのうち「ガンベルト」が必要になってしまう。

それよりも興味をひいたのは、iPodにPIM(Personal Information Management、電話帳やスケジュール管理)機能がついていることである。なるほど、これは面白い。ここは、明らかに電話対iPodのバトル分野である。PIMといえばPDAもある。次回は、PDAと電話の融合端末について書きたいと思う。