オールドガール・ネットワークの誕生

ニューヨーク時代の日本人女友達の一人である塩谷陽子から、4/20付け朝日新聞朝刊の中の綴じ込み雑誌「GLOBE」にコラムが掲載されたとの連絡をもらった。アート関係の仕事をしている人で、前から本も出しているし雑誌にも書いている。相変わらずの活躍ぶりで、嬉しい限り。

ニューヨーク―芸術家と共存する街 (丸善ライブラリー)

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そういえば、前にこのブログでも紹介した、大和證券の河口真理子も、最近の勝間和代の本に登場しているのを本の広告で知った。慶応DMCの岩渕潤子は、1月に「パブリック・ドメイン」に関するシンポジウムを主催して話題になったし、地元仲間の渡辺千賀も相変わらず元気。メディアで取り上げられはしないけれど、公務員、金融機関、弁護士やコンサルタントなどの専門職で、今も活躍している同年代(プラスマイナス数年の誤差含む)の昔からの女友達が多くいる。

勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー

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美術館で愛を語る (PHP新書)

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ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

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ネットのおかげもあり、こうした友人達と久しぶりに連絡を再開できるチャンスが増え、お互いに仕事を頼んだり頼まれたり、仕事に関する情報をあげたりもらったり、といった「ビジネス面でのつながり」が徐々に最近増えてきている。

オールドボーイ・ネットワーク」という言い方があり、学校の同窓生を中心とした人脈を使い、会社や業界の枠を超えたインフォーマルな人的おつきあいで「ビジネス」をする文化というのは昔からある。これはずっと長いこと、本当に「ボーイ」に限られたネットワークで、女性にはなかなか参加できない社会だった。「閉鎖的な特権階級」だとかいい始めたらキリがないが、同郷人だと急に親近感を感じたりするのと同じで、人情としてある程度仕方ない。日本でも、アメリカでもこれは同じことだ。

ようやく女性の間でも、ある程度以上の数がまとまってきたおかげで、「オールドガール・ネットワーク」ができてきたように感じる。女性の場合トクだと思うのは、まだ「女性」というグループの数が少ないため、特に同窓だとか何かのフォーマルなつながりがなくても、プロフェッショナルに仕事をしている(+もちろん、個人として気が合うかどうかという要素もあるが)という切り口だけで、仲良くなりやすいことだ。おかげで、私の専門とは違う分野での話もいろいろ聞けて、世界が広がる。日本人の友人だけでなく、アメリカ人との間でも、女性のプロフェッショナル同士はお互いの事情を理解しやすいために信頼関係を作りやすく、結束が固い傾向がある。

私の年代の女性で、プロフェッショナル・レベルで仕事をしようとすると、大きな企業では難しかった。友人達を見回してみると、「試験」(公務員や資格)、「外資・国際」、「メディア」(記事や本を出す、ブログで人気を得る)のどれか(または組み合わせ)を武器として成功しているケースが多い。だから、私のオールドガール・ネットワークも、組織の長ではなく、一匹狼的な「プロ」が多いというように偏っているが、それでも孤軍奮闘していた上の世代の先輩達よりも、だいぶ恵まれている。

こうして、日本だけでなく、世界に薄く広く散らばった友人同士が、実際に集まってお酒を飲んだりゴルフをしたりしなくても、「オールドガール・ネットワーク」を形成・維持できるのも、ネットのおかげ。つくづく、いい時代に生まれたもんだと感謝している。あとに続く後輩の女性プロフェッショナルの皆様は、これを足がかりにして、もっと多くの分野で広く活躍してほしいと思う。

戦うか、逃げるかの話、再び

日経新聞でこんな記事をハッケン。

「日経WOMANサイト」終了のお知らせ

昨年、「パラダイス鎖国」本の発売イベントで中島聡さんと対談したとき、今いる環境が住みにくい場合どうするかという質問に対し、中島さんは「戦え」、私は「逃げればいいんじゃな〜い?」と言ったことがけっこうウケたが、どうも本当にそうなってきたらしい。とはいえ、上記の総務省による背景分析(「海外に移り住む女性が増えている」)が本当に正しいかどうかはもちろんわからないのだが。(出生と死亡の差による「自然減」でなく、入国と出国の差の「社会減」が原因、というのは事実なのだが、フィリピンなどからやってくる女性が不況のために減っただけかも、といったあたりの詳しい中味は私にはわからないので。)なにしろ、なにかと「女性には住みにくい」とされる日本から、いよいよ女性が逃げ出すという話になってきたなら面白いな、と。

外国語ができれば、日本語という「現在の社会制度を守る障壁」の外に出ることは、いまや比較的簡単。女性のほうが語学が好きという傾向がもともとあるし、だからもう女を日本の旧来の仕組みに閉じ込めておくことができなくなった、ということなら、ヒジョーに面白い。

先日のJTPAに関する日経ITPlus記事の中でも触れられている、「戦うか、逃げるか」の選択肢の件が会議中仲間内でも話題になった。
テクノロジー : 日経電子版

もうちょっと正確にいうと、これは「日本の会社にどうなってほしいですか」という質問だったのだが、パネリストは「会社を変えようなどと思わないほうがいい。他人は自分の思うとおりには変わらない。自分のほうが合う環境を探して動いたほうがいい。」と答えた。私も同感。今の状況は、それなりに理由があってそうなっている。長年かかって出来上がった仕組みをひっくり返すのは並大抵ではない。それを可能にするためには、ひっくり返すことで有利になる人を集めて団結して戦うか、それとも自分はよりよい環境に移って幸せになるかのどちらか、ということになる。後者だと、長期的には「ストライキ」と同様の効果をもつようになるが、そこまでは時間がかかる。例えば農村には嫁の来手がないと言われて久しいが、それでは農村のほうで女性が住みにくい状況が大幅に変わったかというとそこまでは至っておらず、「こない女性のほうが悪い、最近の女は楽をしたがって云々」みたいな論調がいまだにあるように(出典:発言小町など)思う。

他人を変えることなんてできない。まして、巨大な日本という国のエスタブリッシュメントの人々を変えることは不可能に近い。一人でも戦う力のある人や、みんなをまとめて戦うことができる人はともかく、そうでない人はやっぱり「逃げる」のがいいように思う。逃げるにもいろいろあって、別に海外脱出までしなくても、国内でも「よりよい環境」にみんながどんどん移れば、そちらにだんだん力が集まっていくはずだ。それもせずに愚痴ばかり言っているのは、ミクロ的にもマクロ的にも最悪の選択肢。転んで「いたいよー」と泣いても、ママが助けに行ってやるのは、小学校ぐらいまでかな、私的には。

<参考記事>
勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」 - Tech Mom from Silicon Valley

strikes back 3 多様性を確保するという「投資」

さて、このインタビューでも強調したことが、「多様性」の重要性である。本の中でも、結論となった部分である。なんで重要か、という話は本を読んでいただくこととして(笑)、多様性を確保することはそれなりにコストがかかるのだが、それはいわば将来に対する社会的な「投資」である、という考え方について述べたい。

このブログにたびたび書いているように、我が家の子供達は、二人ながら学習困難の問題を抱える。「単に怠けて勉強ができない」のではなく「どんなに頑張ってもできない部分があり、そのために勉強ができない」ということを強調するために、ここまではことさら「学習障害」という言い方をしてきたが、最近は上の子は種々のセラピーや対策のおかげでだいぶついていけるようになり、「障害」というのはちょっと違和感があるようになってきたので「困難」としておく。

これに加え、私の周囲にはなぜか、「学習困難」の子供をもつ家庭が多い。ディスレクシアADHD自閉症、手や足の機能障害などなど、多種多彩である。自分だけでなく、そういった多くの話を聞くにつけ、アメリカ(の中でも、おそらくは私が接しているある程度生活に余裕のある地域)でこういった問題のある子供に対する対策の厚さや、そもそも問題に対する基本姿勢が、「すごいな」と思う。

例えば、「書く」機能に障害があるケースでは、学校で特別に指導をしてくれるだけでなく、「専用コンピューター」を貸してくれる。コンピューターといっても、機能がきわめて限られる、電子タイプライターみたいなものだが、「彼は、手で字を書くと書けないだけであって、中味はわかっていて文章も作れるので、タイプすればきちんと書ける。だから、問題のある機能だけを補完する。」という考え方である。ディスレクシア(読字障害)では、テストの問題を読み上げたテープを使わせてくれる。もちろん、こうした「補助」を受けるためには、それなりの専門家の意見を聞き、学区の手続きを経て承認をもらわなければいけないが、それさえ乗り越えて必要が認められれば「ハンディ」をつけてくれる。

私の知っている限りの日本の学校だったら、「コンピューターで漢字変換するのはラクすぎて、勉強にならないからダメ」と言われるだろうし、読み上げテープは「それでは読む訓練を放棄してしまうからダメ」となるだろう。それは、別の言い方をすれば「あなたの勉強が足りないからだ、もっと頑張ればできるのにやらないから、自業自得だ」という意味が含まれる。「他の子と比べて不公平」という意味もありそうだ。でも、例えば「目が悪いからめがねをかけます」というのに、「それは小さいころからゲームばかりやっていたからだろう、自業自得だ、ゲームをやらずに頑張ってきた他の子と比べて不公平だからダメだ」と言われるだろうか?

コンピューターでスペルチェックや漢字変換をするのが、そんなに悪い、怠けたことなのだろうか?それを機械に任せて、もっと別のことに頭のエネルギーを使うほうがいい人だっているんじゃないだろうか?人並みにスペルや漢字が覚えられない子供が、人並みになるために一日何時間も超人的な努力をする(そして、おそらくそれでもできない)ことを強要されるとしたら、それは果たして本人のためにいいことなんだろうか?

「そんなことはない、本人の持っているほかのいい部分を生かすために、足りないところは、眼鏡をかけるが如く、ハンディをあげましょう」というのが我が家周辺の考え方。「そうかもしれない、でも特別な子供を受け入れる体制がなく、それをつくるには膨大な手間やコストがかかるから、できない」というのが、日本や多くのほかの国や地域での実情なのではないだろうか。

日本で「落ちこぼれ」といわれる子供達のうち、何割がいったい、こうした「本質的な学習困難」によるものなんだろう。ちゃんと診断してセラピーや対策をすれば、(なんらかの形で)乗り越えられる子供がいったいどのぐらいいるんだろうか、とふと考える。

そして、これは単に「落ちこぼれの救済」という消極的な意味だけでなく、「人と違う特性をもった人を、そのままで生かす」という「多様性の確保」という社会的な意味もある、と思う。

さらに、こうしたいわば「ぜいたく」なことができるのは、ここがアメリカという先進国であり、ある程度豊かな地域である、ということも言えるだろう。でも、「すべてに行き渡らないから、不公平だからやめる」ということではなく、「ぜいたくできる地域は率先してそういう社会的投資を担う」と考えたほうが前向きのように思う。

対策の対象になる子供が、全員アインシュタインになるわけではない。ただ、一人のアインシュタイン(大変人)を生み出すためには、その周りに何百・何千という予備軍(プチ変人)がいる。そして、あらゆる種類のプチ変人が社会から排除されずにうごめいていることで、「種の多様性」を確保することができる。

別の角度からみると、昨日の「勉強のできる子」のエントリーにも関連するのだが、落ちこぼれの逆、「ギフテッド」の子供達への対策、という話もある。このことも書こうかと思っていたら、他の方が言及されているので、下記を参照。これも、先進国だからこそできる「ぜいたく」であり、イコール「多様性のための社会的投資」だろう。(実際には、アメリカでもギフテッドの子供は、周囲の妬みや過剰な期待のために苦労することも多いようで、その意味ではギフテッド専門の学校というのも、そういう子たちのための「逃げ場」という意味もありそうだ。)

幻影随想 別館: 頭が良いってそんなに嫉ましいものなのかね?

別に、アメリカ政府がそう思ってやっているわけではないのだろうが、大きく考えると、豊かな先進国というのは、種の多様性を確保するための投資を担うという役廻りを持っているんじゃないか、とふと思う。貧しいところではそうはいかない。わずかな食べ物を分け合うために厳しいおきてが支配する「楢山節考」の世界になってしまう。

いまや、豊かな先進国になった日本でも、こうした「多様性への投資」をもっとしてもいいんじゃないか、と思う。まだまだ、日本の社会の仕組みの中枢にある上の世代では、「楢山節考」時代から続く思考回路が抜けないけれど、そろそろ、発想の転換をしてもいいと思う。「普通と違う子供」への対策は、「その子個人の救済」だけでなく、「社会全体の多様性確保のための投資」でもあり、それが次の世代で多くの人の役に立つ、今までにない新しい価値の創造につながるのではないか。少なくとも、悪戦苦闘する日々の中で、私はそういう枠組みで自分の悪戦苦闘をとらえている。

なお、このブログにときどきトラバをくださるkuboyumiさんが、障害児のためのボランティア活動を評価されて、日本の団体から表彰されたそうだ。おめでとうございます!

勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」

Pollyannaさんのこのブログエントリー、私もすごく共感した。

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

私も、小さい頃から勉強以外に取り柄がなかった。いじめられもしたし、そこまでいかなくても、仲間に入れてもらえないことは年中だった。容姿もダメ、歌や楽器や絵もヘタ、体が大きい割りには気が弱いのでスポーツもそこそこ、鈍くさくていわゆる「ストリート・スマート」でもなかった。勉強が好きだったかどうかすら覚えていないけれど、勉強しか取り柄がないと早くから意識していた。その上、前にも書いたように、ねじれた思い込みから「理系は苦手」と自分で勝手に信じていた。

「勉強」というコトバの定義など、どうでもよい。肌感覚として、本当にそうなのだ。勉強ができることの何が悪い、とずいぶん思った。

その後、幾年も経て、今なら思う。「逃げよ」と。そこが居づらいなら、自分を否定しない人々が集う場所、あるいは自分よりもっとお勉強のできる人々がいる場所を求めて、今いるところを逃げよ、と。

一橋大学にはいったとき、初めてその萎縮した感覚なくいられる、のびのびとした環境と仲間に出会って、ほっとした。スタンフォードビジネススクールに行ったら、今度は私は劣等生だった。上には上がいる。私の勉強のできかたなんぞ、全然たいしたことないんだから、気にする必要もないと思い知らされた。

この感覚は決して、「日本」だからじゃないと思う。理系修士号を持つアメリカ人の女友達も、同じことを言っていた。「大学にはいって、初めて自分が安心できる仲間と会えた」と。

別に、勉強に限らない。なんでもよい。とにかく、自分が取り柄と思うこと、好きだと思うこと、これをやっていれば安心と思うこと、そんなことを否定せずに受け入れてくれる人が、世界のどこかには必ずいる。その人たちの集まるところに逃げ込むといいと思う。

ユタ州は、アメリカ各地で迫害されたモルモン教徒たちが集まってできた。アメリカ自体も、ヨーロッパから迫害されてきた人々が逃げ込んでできた国だ。同じように、理系のお勉強ができるがゆえに「ギーク」と侮蔑されてきた人々が、各地で迫害されて逃げ出し、集まってできたのはシリコンバレーだ。

お勉強ができるのはよくないこと、と思って、まわりに遠慮して萎縮する必要はない。いいじゃないの、何ができるんでも。それで頭がよいと思われようが、悪いと思われようが、そんなのは見る人が勝手に言っているだけ。今いるところの周りで、誰もそれを肯定してくれないなら、どこか居場所を探して逃げてしまえばよい。物理的に完全に引っ越さなくても、今ならネットを使うとか他の逃げ方がいくらでもある。ここで私が言う「逃げる」は、一種の意思表明であり、積極的に他の居場所を探すための行動であって、あきらめて捨ててしまう「逃避」とはちょっと違う。文句を言っているだけでは環境は変わらない。その環境がいやなら、積極的に「自分はこういう場所はキライだ」という意思表明をすることだ。

教科書や本を読んで、自分の世界が広がるワクワク感。難しい数学の課題を解いたときの達成感。フランス語を習って初めて「r」の発音がちゃんとできるようになったときの爽快感。お勉強の中で得られる、そんな自分の感覚は、とっても大切だ。それがわからない人がいても、別にかまわない。小飼弾氏が違う考えを持っていても、彼は彼、あなたはあなた。そんなあなたに、共感を持ってくれる人は、どこかに必ずいる。それは、お勉強ができない人、お勉強以外のことが得意な人の「感覚」と、全く等価であって、どちらがよいも悪いもない。

3月に八重洲ブックセンターで言ったことの繰り返しにもなるが、上記、Pollyannaさんへの応援として書いておく。

大人のメガネ

私のプロフ写真が、まさかコメ欄で話題になるなどと、考えてもみなかったので、ビックリしとります。賛否あるみたいですが、どちらにしても私ごときのことを気にかけてくださった方々に感謝します。

で、まぁわざわざ言うこともないかと思っていたのだけれど、話のネタに。このメガネは、いわゆるひとつの老眼鏡で、夏休みに日本で作ってきた。長年、メガネには縁がなかったのだが、老眼のつもりで今回検眼してみたら、乱視がかなりはいっているということがわかり、それに対応したメガネをかけたら、あーら不思議、本もディスプレイも楽々読めるようになった。

メガネ初心者の私は自信がなく、ついつい無難なデザインのものを選ぼうとしたら、一緒に来てくれたメガネ歴ウン十年の亭主が、「ダメダメ、あなたはこういうインパクトのあるのじゃないと」ということで選んでくれたのがこのメガネで、実は結構気に入っている。

滞在中の実家では、3歳の甥っ子がすぐ近くに住んでいて、よくやってくる。夕食のときに、私の母(=甥からみたら祖母)がビールをおいしそうに飲んでいるのを、彼は不思議そうに見て、「おばあちゃん、おとなになったの?」と聞いた。どうやらいつものコトらしく、母は「また来たか」とニヤッと笑いながら、「そうよ、おばあちゃん、ようやく大人になったから、ビール飲めるようになったのよ」と返事していた。

返す刀で、彼は真新しいメガネをかけて本を読んでいる私を見て、「ミチさん、どうしてメガネかけてるの?」ときた。甥っ子のママである義妹は「まずい!」と思ったらしく甥をたしなめようとしたが、私はすかさず「私も、ようやく大人になったの。これは大人になったらかけるメガネなんだよ。ほら、おばあちゃんもかけてるでしょ。」ということにした。そうか、「大人になる」という基準をどこに置くか、いろいろ決め方はあるよな、と思ってなんだか「目から鱗」みたいな気がしたのだ。以来、「大人メガネ」と呼ばれている。

前にも書いたけれど、少なくとも今のところ、私は歳をとることにあまり抵抗がない。体力や記憶力が落ちて、物理的に不便なことも出てくるけれど、その代わり、若い頃よりいろんな意味で「大人」になって、生き易くなっているし、それに抵抗したところで老いていくのを止めることはできないから、健康に気を配るぐらいはするけれど、それ以上に抵抗するために使うエネルギーが無駄だと思っている。世の中、年齢を詐称したり、無理やり若作りしたりといった、「少しでも若いこと至上主義」みたいなことが、特に女性の間で蔓延しているのに対して「へ!」と思っているので、ブログのプロフ写真はなるべく、今のナマの姿にしておきたい、時間を経て変化していく自分をそのままさらしていきたい、と思っている。(とはいえ、面倒がりなのでたまにしか更新しないけれど・・・)

なので、「老眼鏡をかけた自分の写真」をここに掲げていることは、自分なりの、ささやかな主張であります。そういうことで、しばらくどうかご容赦ください。

ブスの境地

ひろしまなおきさんの「顔写真公開のすすめ」のブログ・エントリーに、私のことが書いてある、と知り合いが知らせてくれたので、その前後のエントリーを読んで朝から大笑い。

顔写真公開のススメ
顔に自信をもつコツ

私が顔写真をブログでさらしているおかげで、ひろしまさんの男前写真が一枚、世に出たのであれば、これほどめでたいことはない。そもそも、私は顔に自信があるから、写真をさらしているわけではない。「どうでもよい」からさらしているのである。

写真はまだいい。このブログの写真だって、亭主が何十枚も撮った写真が、どれもこれもブスに写っているのだけれど、その中の一番マシなのを選ぶことができる。それでもたいした顔じゃないけど。ところが、ビデオはもっと残酷だ。先日八重洲ブックセンターでの対談がビデオになって、徳力さんのサイトとかYouTubeとかでさらされたのを自分で見て、つくづく「私ってブスだなぁー」と感心した。特に、隣が男前の中島さんだから、ブスが余計目立つ。でも、会場に来ている人は、もともと私が美しい女だなぞと期待してきているわけでもなく、だーれもそんなこと気にしない。だから、自分でも、ブスだなぁと客観的に思うだけで、イヤだとか恥ずかしいとか、全く思わない。だって、仕方ないんだもん。だから、ブス・ビデオとわかっていても、自分のブログに堂々とはりつけちゃったりする。

それほど割り切れるようになったのは、40代にはいったぐらいの頃かな。それまでは、理論上は「人間、顔じゃない」と言っていても、心の底では大幅な容姿コンプレックスがあった。そのおかげで、人生の選択肢がねじれたこともある。でも、40代になって、子供を産み終って、育児と仕事が忙しくなって、心の底から、そんなことマッタクどうでもよくなった。むしろ、容赦ない年齢の重みが襲ってくる時期を迎えても、もともと「若いころはキレイだった」という思い出がないから、失うものがなく、年をとるのが怖くもなければイヤでもない、というシアワセな境地にはいることができた。「40になったら自分の顔に責任を持て」という意味がわかるような気がする。

ブスやブサメンでも、恥ずかしいことはない。そりゃ、美しい女や男はそれはそれで価値がある。それで、人をおおいに楽しませることができるし、私も、日々いろいろと楽しませていただいている。でも、それは世の中に存在する多種多様な価値の一つでしかない。

それより、顔をブログに出していると、今のところ便利なことのほうが多い、という点に関しては、私も全く賛成である。特に、ひろしまさんよりも「さらに」引っ込み思案で人付き合いの下手な私には、たいへん役に立っているのである。

「あなたに会えてよかった」

私と同じくワーキングマザーの方が、「パラダイス鎖国」本の感想をブログに書いてくださった。その中で、「人を育てることというのは、相手が育っていくプロセスそのものがインセンティブ」という考え方がすごくいいな、と思って印象に残った。

2008-04-04

この中で、「あなたに会えてよかった」という言葉が出てくる。異質な他人と関わることは、実はラクなことではないのだけれど、それはそれ自体で価値がある、と私も思う。"Nice to meet you" "It was nice talking to you" という英語は、社交辞令として普段何気なく使っているけれど、日本語で「あなたに会えてよかった」とはなかなか気軽に言えない。それでも、日本語でもそう言いたくなるような、出会いがたまにある。金銭的な見返りがあるわけでもなく、ただ、会ったこと、話したことそのものが、価値がある。

CTIAの帰り、ラスベガス空港のDターミナルは、座って食事ができるところが一ヶ所しかないので、混んでおり、長い列がなかなか進まなかった。列で私の前に並んでいたのは、いかにもヨーロッパという感じの紳士だった。彼の番になったとき、後ろにいる私を振り返って、「よかったら相席でどうぞ」と言ってくれたので、ありがたく一緒の席に座らせてもらった。

一応「伝票は別にしてね」と頼んだ上で食事を注文して、私はいつもなかなか読む暇のない「日経コミュニケーション」なぞを読んでいた。彼は、ホテルの明細書を見ながらあちこちに電話していたが、ホテルはラスベガスでも最高級のホテル、話しているのはドイツ語、使っているのはノキアの最高機種のスマートフォン。だいたい電話からして、私の、3年近く買い換えていない、一度はトイレに落としたのに不死鳥のように甦って使い古している、韓国製の安物とは違う。*1間違いなく、ヨーロッパの偉い人だ。

食事が運ばれてきたので、自然と話をしだした。CTIAに行っていたんでしょう、どうでした?から始まって、名刺交換したらやはり、某大手ヨーロッパ企業のエグゼキュティブ。少し前に別の会社と合併していたので、合併のあとどうですか?と聞くと、Very differentだ、だから実は、明日が最後の日なんだ、という。来週からは、別の上場会社に移るので、火曜日になったら名前を検索してごらん、きっとニュースに出るよ、という。ますます、偉いひとだ。ふぅむ。

でも、韓国製安物ケータイを使う零細コンサルタントの私に対して、彼は親切にいろいろ話しかけてくれる。ひとりでやってるのは大変じゃない、とか、お客さんはどんなところ?とか、当たり前の話だけれど、その偉いひとが、やさしい笑顔で他愛もない話を私相手にする。

最後には、さりげなく私の伝票までピックアップして、払ってくれてしまった。申し訳ないと一瞬思ったけれど、あまりに自然な動作だったので、抵抗する間もなし。

さぁ、もう行かなきゃ、という彼に、社交辞令でなく、本当に心から、"It was very nice meeting you"と言った。別に、彼の新しい会社から仕事をもらおうなどと露ほども思っていないし、彼との話でなにやら重要な情報を得たわけでもなんでもない。でも、彼と話したおかげで、まずいチキン・ケサディーヤのランチでも、心があったかくなるような1時間を過ごすことができた。本当の素敵な紳士だった。私も、ああいう大人になりたい、と思う。

「あなたに会えてよかった。」大げさでなく、気軽にこういう内容が言える日本語がないものかなー、と思う。

*1:言い訳すれば、高い電話を使っていて、子供にいたずらされて落としたり壊したりされたらたまらないから、という理由もあるのだ。ただ貧乏なだけ、というのもまーあるけど・・・